一週間ゴルフをしていない

2018年10月09日
2
0
人生の考え方


運河に町の風景が逆さに映り込んでいる

記事のタイトルを聞いてなんだと思う人がほとんどだろう。忙しい労働者には当たり前のことかもしれないがわたしにとっては珍しい。寄席にいったり渋谷に呼吸法の稽古にでたりそれとフィットネス以外は自宅で留守番していてマロとまったりしている時間が長い。3連休はゴルフ場も忙しい労働者の息抜きで混んでいるし。どこぞのカフェやバーより自宅がくつろげる。札幌と石垣島のホテルなどを精査してよいアレンジができた。それから久々にmacのセッティングに時間を費やした。アイフォンで撮った写真がすぐさまmacに反映されない状況を直した。これがけっこう大変だった。このあたりはipadの方がずっと操作しやすい。



なんだかんだで不登校の子どもを持つ友人の説得も続けてようやく態度に変化が出て来た。状況を客観的に認識することが彼には難しかったようだが、こっちも暇なんでいろいろデータや情報を渡して丁寧に説明した。説明責任はないんだけど説明ボランティア。まあ子どももこのマロのようにまったり育てればいいのだ。子どもがいてくれるだけで幸せと思えと友人には話した。そこが初心。

自分でいうのもなんだがとも思わないけど、わたしは初心を忘れられない人間だ。たぶん忘れようもない強烈な幼少期の記憶があるおかげで己をわきまえることができている気がする。子どもの頃を思い出せばいかに今の自分は幸せか、家庭も穏やかにあるだけで十分でこどもに立派になってとか期待するのは贅沢。結果稼ぐのも身のほどをわきまえてほどほどである。(と言ってもけっこうな豊かさだが。)自分を抑えるということでもない。自然とできている。投資でも欲を抑えるのが大変だという話はよく聞くがわたしにとってはそれほどのことではない。一方で幸せな時間を持つことを第一にして世情に阿ることもしない。結果長い幸福感に包まれている。

わたしの真似はできないと言う人が多いけど、普通に育つとまあ無理だろうなとはなんとなく思う。ただ幼少期に劣悪な環境を与えるとほとんどわたしのようにはならないのも事実。子どもの頃本をたくさん読んでそしてすごく吸収した。それが効いている気はする。大人になってからたくさん本を読んだからと言って人間が変わるとか成長するとかはたぶんないと思う。せいぜい蘊蓄が増えるくらい。読書は吸収力のある時期にすることだと思うが大人になって言ってもどうにもならない。今のわたしより本を読む大人はたくさんいると思うけど子どものころわたしより本を読んでいた人間はあまり聞かない。ちなみにわたしの娘はわたしと同じくらい読んでいる。吸収度合いは知らないけど。ただ大学のレポートを読むと良い文章を書いている。

読書はさておきアマゾンプライムで映画やドラマはたくさん見ているが、ペンギンというドキュメンタリーは秀作である。ほんものそっくりのペンギンをデコイで作ってカメラを仕込んでペンギンの生態を間近で撮っている。ペンギンが懸命に生きている様を見ると選択肢のなさがむしろエネルギーになっているとわかる。それで生きるが輝く。群れをなし食を確保し伴侶を得て子どもを育てる。それが見事夫婦で行われそしてどのペンギンも同じ手順で執り行う。違うやり方はない。また群れから外れて一人になれば即、死を意味する。ペンギンだとまず凍えて死んじゃう。そういうペンギンもいるみたいだ。

生き物には群れをなす動物とそうでない動物がいるけど人間はそもそも群れをなす生き物。群れをなす生き物が群れから外れるとたいていろくなことにはならない。だからなんとか群れから外れないようにする。そして群れの中では他と同じことをする。でないと多分群れは破綻する。そう考えると一匹狼では生きていけないとたぶん本能に近い感覚が人間にも宿っていると言われても不思議ではない気がする。その人間もこの数千年で農耕中心民族と狩猟中心民族があって原始はどちらも群れでないと生きていけなかったが、道具が進化してくると狩猟は個別でもできるようになる。群れでも狩はするがより個の力量に依存する傾向も出てくる。それで個の独立性が高まり一方農耕中心民族は長く個よりも群れに重きをおく民族になっていく。だが産業革命などにより高度化した道具が出てくると、狩猟農耕ともにまた群れの重みが大きくなって今に続いてくる。そんな理屈かしら?いずれにせよ、わたしは人間でよかったなと思う。(ペンギンの寿命はどれくらいだ?)

人間というのはいろんな選択肢があるのが厄介でもあり素晴らしい点なんだろうとは思うが、その多くの選択肢にも関わらず、群れの中で他と大きく違うことを避けて同じように生きることを好ましいと考える人間が圧倒的に多い。念のために言うがわたしはただ職業とかの話をしていない。人生設計全体の話、また群れの中外に関わらずどう振る舞うか、つまり生き様の話をしている。

間違いなく言えるのは、若い頃は選択肢がたくさんあったのに年を食うほどに選択肢は減ってもう50でも過ぎば、まだあと人生長いのにほとんど選択肢がなくなってしまうという人間がこれまた圧倒的に多い。当然と言えば当然なんだけど、それでふと自分の選択肢のなさに愕然とする時もあるかもしれない。若い頃から何かを鵜呑みにして周りの評価評判を気にして、自分なりに深く考えて生き様を選択してきた記憶がないからなおさらである。ペンギンならいざ知らず万物の霊長人間だからそれでいいのかねとは思うけど、まあ本能だから仕方ないということかな? それにしても変だなと思うのは、選択肢はもはやないのだから今まで通り頭を低くして大人しく生きれていればいいのに、投資で退職金でも増やして悠々自適にとか、なんでそう思うのだろう? そう思うなら違う生き方をしてくれば良かったんじゃないかしら。



関連記事
ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
自己紹介へ

Comments 2

There are no comments yet.

白猫次郎  

No title

こんにちは、、
>なんでそう思うのだろう?

たぶん馬鹿だからです。違う生き方が出来る人は、既にその必要がないほど豊かなんですね。

2018/10/09 (Tue) 13:50

ハルトモ  

No title

馬鹿と言われるのを一番嫌がる人たちですね。笑

2018/10/09 (Tue) 20:00

コメント投稿