車中泊

2016年12月29日
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旅を楽しむコツ
恒例の年末の墓参と寺訪問に行ってきた。清見寺という立派なお寺へも年会費を納めてきた。このブログでおじいちゃんのことも何度か書いているが、そのおじいちゃんの墓も訪ねた。おじいちゃんには充分成功したと自慢いや報告をしておいた。わたしの成功はおじいちゃんを反面教師としている面がある。

おじいちゃんは仕事ではすごい人間だったようだが、結局拡大路線が過ぎた。野心が強すぎたのだろう。そして家庭を顧みなかった。人生の優先順位のつけかたを間違えた。それで子育てはまあおかしなことになった。親父は反面教師にもならなかったが、おじいちゃんの轍は踏まないこともわたしの優先事項であった。

墓の能書きを読んでみるとおじいちゃんの父親とどうやら祖父の名前も書いてある。どんな人たちだったんだろう? 今のうちに生きている年寄りに聞いておこうかな? そうしないと二度とわからなくなる。

おじいちゃんが創立メンバーだった静岡の会社は今でも従業員が1700人ほどいる大きな会社だけど、一度総務部にでも問い合わせしてみようかなと思っている。おじいちゃんの古い資料が残っているかもしれない。

こんなこと思うのは暇だというのが大きな理由だが、長年あまり気にしていなかったことでも調べてみようかなって気になる。そんな番組がNHKでもあったが、出てくる人はみんな感動して涙を流している。先人、それも身内の奮闘話は人の心を揺さぶるものかもしれない。

その会社は静岡が本社だが、宮城の気仙沼にも大きな工場があって、そこにおじいちゃんの会社に入社したわたしの親父が仕事で行って、やはりここで何度も書いている震災の時にわたしが救出した「しみちゃん」が営んでいた小料理屋に行き、そこに手伝いに来ていたしみちゃんの妹のまっちゃんを見初める。親父が24歳でまっちゃんが20歳くらいだったはずだ。いろいろあったんだろうが結局親父はまっちゃんを清水につれて帰り祝言をあげる。ほどなくわたしが生まれる。こんな流れだ。だから清水の気っぷのよさと東北のねばり強さを併せ持つわたしになったというのは語呂合わせ程度だが自分では納得している。

わりと車中泊が好きだ。お金がかからないから。ティグアンでは今年何度か車中泊をした。自転車を積んでいった猪苗代とかみっちーに会いにいった名古屋とか。ティグアンは後ろが広いのでせいせい横になって寝れるのだが起きて出ようとすると案外面倒であった。ティグアンは座席で寝ようとするとリクライニングが浅いので楽でない。

それで今回はボルボで車中泊に挑戦した。ボルボは前の席のリクライニングが深い。完全に倒すとアエロフロートのビジネスクラスくらいにはなる。デルタのサイパン線のビジネスよりはるかに快適だ。起きて車外にでるのも楽
だ。案外よさげな予感がする。

今回高速のサービスエリアでの車中泊。朝から行くと渋滞すると予測されるので早めに出てSAで寝ようという作戦だ。この場合高速代金が深夜割引きで3割引になるというメリットもある。我ながらせこい。こんなことして千円二千円節約してもうん万円の料理をぺろりと食べるんだからいったいなにをやっているんだか。

車はもちろんエンジンを切る。ガソリン代が勿体ない。寝袋はマイナス18度の仕様だが、外の気温は5度、まったく問題なかろう。それにしても高速のコンビニでつまみを買って、かねて用意した缶チューハイを高速の休憩所でいただいていたがかなり目立ったね。まさかこいつ運転するんじゃないだろうな?とかきっと思われた。高速道路を走っている限り飲酒運転でつかまる可能性はないし、ボルボの自動運転でどこまで走ればそのうち酔いも醒めるかかも、なんてのは冗談がすぎるな。飲酒運転はぜったいにだめだ。わたしのように失うものがない人間でも良識というものがある。

ということで仮眠ではなく睡眠をたっぷりと取った。映画を見て。ぐっすり寝てそんでゆっくりと朝食。墓参りとお寺への用事をすませて、それから中学高校の古い友人ふたりと待ち合わせして昼飯を食った。もう40年以上のつきあいである。いろんな話しをして楽しい。今度ゆっくりと泊まりで遊びに行こうと誘っておいた。いつでも合わせる。わたしが清水まで行くから。と言っておいたが、ふたりとも忙しそうだから連絡は来ないかな? 一足ふた足先に隠居すると遊び相手に不自由するのである。
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