相場の本質

2019年08月30日
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株式投資
本質と聞いて勘違いする人はいると思う。本質というのはひとつではない。ある物事にはいろんな側面があり、ある角度から物事を的確に言い当てるならそれは本質である。つまり視点者の立ち位置が重要になる。同じセリフでも違う人間が語ることで本質を言い当てもしまた見当違いにもなる。

「わたしは相場で暮らしていけるようになりました。」と誰かが言うとする。その時その人間はいったい何を見ているかである。相場はまぎれもなく敗者から勝者にお金が移動するゲームである。儲ける人間は敗者より強いから儲かるのである。この厳然たる事実をよくわきまえずに、自分のテクニックとか投資手法で、それが市場の値動きの中で通用するから、これで勝てるようになったと思うなら、いつある時、いっとき栄えたニシン漁のように、ニシンがいなくなったらどうするのか?それどころかニシンがいなくなったことさえわからないのではあるまいか? 

相手が変われば自分も変わるのが当たり前。環境が変われば自分が変わるのも当たり前。勝てるようになりましたというのは、どんな環境でもどんな相手でもそれが完全に見えていて自分が変化し続けることができるという、これはとてつもない話なんですよ。だから玄人はそんなセリフめったなことでは口にしません。つまり相場で食えるようになりましたという人間は何もわかっていない可能性が高いわけです。

ある方からハルトモさんは凄腕ですねというコメントをいただいた。
その返事をここに転載しておこう。

凄腕とは違いますね。真田昌幸や宮本武蔵と違い、私は闘う相手を自由に選べます。自分より馬鹿な人間を見つけて、それでもすぐに近づかず、馬鹿がへまするのをじっと待っているだけです。幼児相手にチャンバラやっているようなもんですよ、それも後ろから不意打ち。その程度で一生分くらいは十分稼げます。世の中見ていると複雑にやりすぎている人が多いなと感じてます。
まあ敢えていうなら馬鹿を見抜く力、ヘマするのを待てる、ぼけっとしているようで急に動く力はある方なんでしょうけど。

相手が見えていて、自分がわかっていれば、そこで初めてなんとかなると言えるのだと思う。

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