実感

2015年05月14日
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日々の雑感ーリタイアライフ
資金温存。資金と言うものはたいていの場合において、一見無駄なようでも遊んでいる部分が大半というようにしておく。もちろん上手に遊ばせておくのも腕のうちだがそこはいつでも出ていける状態で温存しておく。

ここをほとんどの個人投資家がわかっているようでわかっていない。万が一のために現金がいくらいくらありますとか、ここにこれだけ定期預金がありますとか、でもその金が消えて平然としていられるか? 手元から消えたときでも平常心を保てるというのが本当の遊んでいる金である。無くなって心の安寧が崩れる金はやはりそこになくては困る金なのである。これが実感としてわかるようになるにはある程度の資金が必要である。なってみると実感としてよくわかる。それまではどうするかと言うとなんとかするしかないのであるが、少なくともわかっているようでわかっていないということを自覚することが極めて大切であろう。

よく病気になってはじめて健康のありがたみがわかるとか言う。わたしも怖い思いをしたことがあるのである程度は実わかるが、ただ本当に大変な思いをした経験がある人はそれこそまさに実感だろうと思う。よく大病をすると人間が成長するとか言うがそこまで実際行ってみると初めて見えるものがあるのであろう。でも実感が手遅れでは話にならないからそこは実感なしにどうするかというのが普段から大切だということになる。

人生は金じゃないとよく言うが、ほとんどの人間は一生金の心配をしている。まあこれ以上に金は要らないなと思えるくらいにならないとやはり実感として人生は金じゃないなとはわからないと思う。ただ金の場合どこまで行って足りると思うかが難しい。どれだけ持っていてももっと儲けたいと思う人間が多い。だから人生は金じゃないなんてどれだけの人間が実感としてあるか怪しくて実はこのセリフは金のない人間の負け惜しみで多用されているとも言えそうだ。わたしだってもう金は要らんなどと言いながら、またチャンスだと思えばきっと出ていくんだろうから、がつがつはしていないというだけで、実際はよくわかっていないと思う。

なんにせよ、このよくわかっていない実感がない状態で、その実感がないことを自覚しつつ、より実感に近い感覚をなんとか磨く。それでも実感とは違うが、なんかそれで役に立って実感を得るところまで行ける。そういう似非実感。これが実は実感より大切なものかもしれないと感じている。この似非実感がどうやって形成されるかは長い話になると思うが、少なくともわかっておらんという実感?まずはここからであろう。
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