わたしという主語でエッセイを書くということ

2020年06月17日
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日々の雑感ーリタイアライフ
わたしのブログが好きな人はほぼ全部読んでいるみたいです。嫌いな人はろくに読まない。それで気になった記事いくつかで、だいたいこの程度の人間と値踏みをする。ただわたしの場合いろんなことを書くので記事ごと少し違った側面を見せる。それが常連には面白いけど、たまに読む人は困惑する。もともと好意的でない人は矛盾点を探しながら読んだりするんで尚更。

池波正太郎とか司馬遼太郎と読むとときに、池波さんってどんな人だろう?なんて誰も考えないですよね。また私小説いう分野もあって、例えば村上春樹が僕はって書いても、誰も村上氏個人のことだとは思わない。ブログは読む人は書いているものと書いている人が渾然一体となったものとして、みな読んでいる。そこにわたしのブログを読む面白みがあるかもしれません。

よく言う方います。わたしはハルトモさんの真似はできません、とかでもそう言われてわたしの何のことを言っているかわからないわけです。当たり前ですがわたしの本名はハルトモじゃないですよ。ハルトモはこのブログの主人公なんです。だから読み物だって何度も言ってるんです。

人間ウォッチングが好きで、それで興味を持ったブログとかあると、コメントさせていただたりします。この人どういう人かな? この人こんな質問したらどんな反応するかな? って好奇心を持ってしまうんです。それで、やっぱりなとか、なるほどなとか、あれ? とか楽しむわけです。そういうのが多いです。それで自分の思考のバネになっていくことが多いです。

ハルトモは勝負師じゃない、偽物だって他のブログでコメントしていた人がいて、それでなんかちょっと直接聞いてみたくなってコメントした。こういうこと言われますけど、わたしの古い記事よろしければお読みください。そしたらすぐに返事が返ってきた。その内容はたぶんその方が以前読んだわたしのイメージに基づいているようだ。 別に読まなくてもいいんです。ただそこで一呼吸置く人と置かない人がいるってのが面白いのです。わざと読んでないぞお前の書くことなんか読むものかという意思表明なのか? それとも面倒な奴だと思ってるか? 読んでないのに後から読んだような雰囲気で返事する人もいます。それってどういう性格? いろいろ想像するのが楽しいわけです。

洒落た反応をされると嬉しくなったりします。お!座布団一枚とか、、、逆にあれあれ怒らせちゃったとか、いろいろ失敗もあるわけです。営業マンだったんでお客のところに行くと、なんか明らかに早く買って欲しいオーラが出ている人っています。それは早く帰ってあげたほうが喜ばれます。ブログもコメントすると2度と来るなって最後に無言で書いてある人もいますね。別に怒らないです。面白いなとおもうわけです。なんでそう言うのかなとか、、でまた想像がはじまっちゃう。



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