遊びながら成功する
2020年05月29日
テレワークはないけどテレ同窓会というのに2回ほど参加した。せいぜい10人以下の集まりなら知っている人間しか入ってこないけど、これが例えばオンライン授業とか多くの人間が参加する場合、これは間違ってというかわざと部外者が紛れ込んでくるケースがあるそうで、同級生の大学教授が言うには、一応参加を承認するんだけど、どんどん承認依頼が来て、それで誰かなと思っても承認してしまうそうだ。それでいざ授業というか会議というか、それが始まると、裸になって踊りだす。でも踊りだして、それであいつは一体誰だって話になって部外者だって断定するのに、いくばくか時間がかかるもんで、結局裸踊りをしばらくみんなで見る羽目になるらしい。
その話を聞いて、わたしが最初に思ったのは自分もやってみようかなということだ。べつに裸踊りをせんでも(していいけど)、知らない教授に生徒のふりして参加して論戦を挑むというのはどうだろう?たぶんまともなことを言う分には簡単に部外者だと見破られない。外観については今は便利な自撮りカメラがあっていくらでもごまかせる。わたしも自動車関連業界のマーケティングであれば、専門家でありかなりの論客だから、これはおもしろそうだ。
とまあ、こんな具合にいつも暇つぶしのネタを妄想している。たまに知り合いで、遊んで暮らすよりずっと働いていたほうが楽しいとか言う人間がいる。よく言うねって思う。やったこともないのに。人の役に立つのが生きがいになるとか言う人間もいる。仕事してなきゃ人の役にたてんのかね?そんなに人の役に立ちたいなら無給で働くという手もあるぞ。きっともっと喜ばれる。
惰性で仕事はできるけど、惰性で遊ぶことはできない。遊んで暮らすというのは、実は若々しくてパワーが無いとできないのである。そしてもちろん遊ぶには金もいる。仕事しているよりずっと大変だ。ボロボロになるまで働いて、それで金もさほどなくパワーが残っていないで、それで時間だけたくさんあると、これはきついかもしれないけど、それを含めて今まで自分が生きてきた人生の現れである。わたしなんか現役の時から遊んで暮らす練習を十分してきた、つまりちゃんと準備をしていたってことである。世の中で、わたしのような自由人が非常に少ない理由がここにあると思う。
つまりジレンマである。必死に働き続ける人間でないと成功者になれない。だがそれでは遊べない人間になってしまう。かと言って若いうちからきままに遊んでいたら成功者になれない。これを両立する人間がほとんどいないわけだ。わたしは決して擦り切れるほど働かなかったし、会社でもそれこそ自由気ままでやりたい放題、もちろんプライベートでも遊びまくっていた。それで今くらいの自由人の生活がある。やはりよい仕事というのは相反するものを両立することである。グリップがよくて燃費のよいタイヤのように。
では長年働いてすり減ってしまった人間はどうすれば良いのか?これはわたしに聞くのはお門違いだ。わたしが知るわけはない。せいぜいわたしのブログでも読んで、何だこの野郎と思うか、いいなあと思うか、好きにされれば良いんだろうね。
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