なにを反省すべきか

2018年05月29日
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日々の雑感ーリタイアライフ
例の反則をおかした選手に同情する声が多い。これはわかる気がする。日本人の多くはたいてい誰かのいいなりになっているのでいつ自分が同じような身になるかもしれないという意味で親近感を覚えるんじゃないかしら。自分だって納得のいかない指示を受けて心ならぬ行動を取ることもある。間違って一線を踏み越えたのはこれは行けないことだったが、人のいいなりになっていることそのものが問題だとは日本人の多くはあまり考えない。

先の世界大戦で戦争に突き進んだ日本は、指導者が悪かったと思っている。指示に忠実に戦場に散った英霊などとむしろ美化する傾向もある。むしろ日本人は自分たちこそも戦争の被害者であったという気分もある。この日本人の国民的性質が全体として変わることはまず当分はないとは思う。

だがさすがに、あいつを殺してこいと、指示されて本当に殺す人間はこれはやくざでないかぎりいないだろう。いくら上の指示でも聞かないことだってある。それは何故か? 上の指示より、殺すことがしてはいけない悪いことだと自分で確信を持って感じるからだ。誰に聞いてもそうだろうと思う。

殺人というのは極端なケースとして、確信があればそれは自分の確信に従うが、確信がないと人間は上の指示に従う。間違ったことをしているんじゃなだろうかって罪悪感はあるが、上の指示に逆らうとことに対する罪悪感のほうが大きければ、より大きな罪悪感に従うということになる。我が身を守りたいという気分もある。

殺人という残虐行為でさえ、この確信を上手に外されれば人間はいかようにも残虐になれるから怖い。あの反則をおかした選手が一人組織の中で変わり者であったということは統計的にはありえない。大きなインシデントが起きる背景には多くのヒヤリハットがある。似たようなことが繰り返されていたのだろう。たまたま画像が残ってなく証拠もないんで大ごとになっていなかっただけではないか?あるいはもっと上手にやる人間もいるだろう。その背景はどこまで広いのか?それはわたしはわからない。

あの監督は自分の敵からこの機会を利用して叩かれているとたぶん感じている。叩いているほうもどれだけ立派かどうかそれはわからない。立派な人もいるけど、これ幸いと便乗することはあり得る。いろんな人間が混じっているだろう。あの監督が立派じゃないってことは間違いないとは思うけど。


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