億り人に激しく噛みつくブロガーさんの記事をちょっと前に書きましたが、常習的なようで他にも
同じ人から攻撃を受けている億ブロガーさんがいます。わたしも執拗な攻撃を受けていると感じます。でも同じ文章を読んで攻撃ともなんとも思わない人もこの世にいるのも事実で実際イイねを推して賛同したり賛成する人たちもいます。同調のコメントをする人もいます。もちろんそうでない人、億り人たちに賛同する人もいますので、要は同じ文章を読んでもまったく逆の感じ方をする人たちがいるということです。
自衛隊のセクハラやパワハラの話題がさかんに報道されていましたが、セクハラパワハラをしている方はセクハラパワハラしてるという意識はありません。されている方は酷いことをされたと感じています。でもそれを見ていたたくさんの同僚がいたわけです。両方を見て、どちらかに共感する人、あるいは反感を持つ人、なんとも思わない人と別れていたんだろうと思います。そこの人間模様にわたしは興味を感じます。億り人さんでいろいろ言われない人はいません。基本金持ち喧嘩せずですのでいくら攻撃されてもやり返したりはしません。わたしは変な人間なんで反論をしていますが反論したらどうなるんだろうという興味もありました。
一方で混同されやすいテーマもあります。わたしは人物を否定するのが誹謗で言っていることが間違っていると指摘するのは批判だと思います。ブログは個人が自由に自分の意見を言える素晴らしい機会ですが、当然それには責任も生じます。また批判を受ける覚悟も必要です。ところが自分の言っていることを間違いだと言われると、攻撃された誹謗されたと感じる人も多くいるのです。これもまた人それぞれですが、自分が言われるのと他人が言われるのと同じことでもまったく違う感じ方をする人もいます。わたしは昨今のSNSやブログを見ていると、もっと批判を受ける覚悟を持って発信すべきだと感じています。言いたい放題自分の意見を開陳したあげくに異論を唱えられると言っている内容に冷静に反論するのではなく、攻撃されたとお門違いの反撃をする人もいます。
自分の意見を自由に言えるのは素晴らしいことですがそこの責任感はどうなっているのでしょうか? そこで気になるのは匿名性です。わたしはかなりの身元をここで明かしています。わたしのことを直接知っている読者も軽く数百人はいます。やはり知っている人が見ているという意識は大切だと思います。わたしのブログを読んでどう感じるかは自由ですが身元を明かさず匿名でいろいろ言う人間とは一線を画しているという自負はあります。自分のことを知ってる人間が読んだらどう感じるか?って気持ちで発信するのは自分を律する上でとても良いことだと思います。ちなみに誹謗する人はほぼ100%匿名です。抑えが効かなくなるんだと思います。
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