忠臣の国

2015年11月26日
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サラリーマンライフ
日本の産業で国際競争力を維持している自動車業界だけど決してトヨタとかホンダの車の出来がドイツ車より上という評価にはならないのは何故か? その話を日本人とは?という視点から書いてみようかと思っているんだけど、実は日本の自動車部品メーカーというのはドイツ車でも幅広く採用されていて世界的にはトップのものがいくつもある。例えばアイシンのオートマチックトランスミッションは質量とも世界一でBMWもワーゲンにも使われている。デンソーの燃料噴射システムも非常に競争力が高い。日本の自動車部品メーカーに世界の自動車メーカーは支えられていると言ってもいいくらい。じゃあ日本の部品メーカーにしっかりと支えられてトヨタが抜群の乗り味かというとそうはならない。そこが考えるポイントである。

日本の部品メーカにこういう製品を作ってくれとカーメーカが依頼する。そうすると日本人てのはその依頼に対してとにかく一生懸命やるわけ。こうして欲しいとか、ああしたほうがいいんじゃないかな、って思っていてもそこはぐっと言うのをこらえて、まずはお客の希望を叶える努力をする。その中で顧客が気付いてくれればいいけどあからさまには言わない。

他の国の自動車部品メーカだと自分の都合でああしてくれとか、こういうのはやりたくないとか、ああしたほうがいいんじゃないかとかすぐに言う。つまり日本人はお客の言うこと、つまりご主人に極めて忠実なわけ。もちろん言われたことをそのままやっているだけかと言うとけっしてそうじゃない。ものすごくよく考えていてお客の先回りをするくらい。つまりお客の真意を汲み取ろうという熱意がある。それが日本の自動車部品メーカー。

部品メーカーはこれでいい。忠臣であることが美点になる。ところが自動車メーカになるとそうはいかない。一般大衆の求める車を作るというお題目はあるんだけど、目に見えて誰かがご主人というわけじゃない。そこでそのメーカとして俺たちはこういう製品を世に問うんだという、その姿勢が強く出ないと顧客に訴求しないというおもしろい現象が起きる。ベンツとかあるいはアップルもそうだけど、自分たちである意味勝手にこうだと決めつけて世に出してくる迫力がある。これがトヨタは弱い。

ではトヨタとかホンダのクルマ作りはご主人が誰かと言うと、やっぱご主人はいるのですよ。例えば上司。自分の上司が求めることを必死にやるのが立派な仕事ということになる。こういう車を世に出してこれでどうなのかな?と実は酒の席ではいろいろ言う。疑問に思うことも多いけど、でも上司やそのまた上司がよく考えて決めたことだから、口を挟むようなでしゃばりはすべきじゃない、これが日本人の美意識。もちろん深く考えて思慮深いのが日本人だからその制約の中で自分なりにこうだと思う知恵や工夫は入れる。賢いんです。

でも実は上だってご主人がいないと不安だから、やはり誰かにお伺い立てたり、あるいは部下に意見を求めたり、他所の真似をしたり。自分でこうだっていう強い上は創業者でない限りほとんど現れない。だってそんな人間は忠臣ができないからまず滅多なことでは偉くなれないのですよ、この日本の組織では。

上司に加えて同僚というか、部署の違いも同じ力学が働く。専門のことはその専門家がよく考えて決めたことだから、専門外の人間が軽々しく口を挟むのは憚られる、と日本人は考える。詳しい人間がよく考えて決めた結論なんだから、きっとそれは正しいだろう、というわけだ。逆に自分の専門のことに素人が口を挟んできたらムキになって反論したり不愉快になるのも日本人の特徴。日本人てのは肩書きとか権威に弱いって印象があるけど、実はよく知りもしないのに偉そうに言う、とかいうのを嫌う特性が背景にあるとわたしは思う。

要は他人の領分は犯さず自分の領分は必死に守る、ということ。一生懸命というのは元々一所懸命というのが語源で自分の領土を必死に守るということから来ていると学生時代に習ったけど、なんだかそこに通じてると考えると妙に得心がいく。

忠実ででしゃばらないのが日本人だとして、そこでおもしろいことが起きる。例えば戦前日本で一番偉かったのは天皇であったわけだけど、じゃあ実際天皇が戦争をやれとか侵攻しろとか、それを言ったか言わないかもあるけど、実際天皇の意思を直接確認した人間がそれほどいない。一番偉いのが天皇なんだから天皇の言う通りにすればいいはずなんだけど、その天皇の指示は随分と遠回りをしてかなり制御されて自分に届く。そこで、それは変だな、本当に天皇はそう言ったのか?なんて直接確認しようなんて人間はいないし、いてもすぐに弾き出される。それが日本の組織。ちゃんと偉い方があるいは専門家がよく考えてそれで天皇に上申して裁可を頂いたことなのだから、正しいはずだし、そしてそれは天皇の意思に決まっている。そう考える。これでたぶん天皇は天皇でやっぱり生粋の日本人だからそこはなんでも決めてください、なんて下からやられたら逆に困ってしまう。それだけの情報も下は上げないし。そういうことで実際誰が決めたんだかかよくわからないかたちでずるずるといろんなことが決まっていく。

これって今の日本の組織でもまったく同じでしょう。組織の上にいる人間で難しい決断を下から迫られると機嫌が悪くなる人間てけっこう多いでしょう?こんな状態で俺のところに上げるな、きちんと根回して誰もが納得出来るような状態にして持ってこい。でなきゃこんな稟議俺はハンコ押さんぞ、なんてね。なんだかなーて思うけど、それが日本人。だから日本人は忠実ででしゃばらずにいてなおかつ同じような精神構造を持つ上司を困らせないですむように物事が決まっていく非常に奇妙で独特の意思決定プロセスを作り上げた。上からこうしろああしろとはっきり言わずに自分の意思を部下に汲み取ってほしい。そして自分はそれを承認すれば良い。これが組織だとかね。あるいは大きな道を指し示すのが経営者の仕事で細かいことは下に任せれいいのだ、とか、一見まともそうに聞こえるけど、なんだか怪しい。方向は指せても次の角をどっちに曲がるのか誰もわからない。

それと承認と指示はだいぶ違う。あとから責任を問われるのは明確に指示して間違っていた場合だ。承認というと、あの時あの状況では承認もやむなしであったとか言い訳しやすいし、仮に間違っていたにしても、自分一人で責任をしょわずに済む。上げてきたのが部下だからだ。その上げたほうもそのまた下のせいにしたりして、それで責任の所在が希釈されてなんだかよくわからないってことになる。でもやっている人間たちは組織というのはそういうものだと思い込んでいて、コンセンサスを取れ、それが組織で動くことだととかね。

一方下も下で上手な防衛方法を身につけていて、やはり上の意向に沿うというのが基本だから、はっきり指示がなくても、自分はそうだと理解しましたって言い訳が用意されている。結局わたしは上の指示にしたがっただけです、と
最後は言い張れるわけだ。だから責任の所在はますますどこにあるのか漠となる。

ちょっと前の記事に忠犬ハチのことを書いたし、忠僕直助にも触れたけど、かれらはやはり日本人としての美点を持っていて、自分の分を守りそしてでしゃばらない。ただ今の日本人、とくにサラリーマンと違うのは、自分なりに上のために良かれと本気で思ったことを自分の意思でまた責任を背負う覚悟で実行に移すということだ。それが仮に上の言いなりだとしても実行する以上は自分の意思であり責任は取るのである。それが本物の忠臣である。日本はかつてその忠臣によって支えられていたとそんな気がわたしにはする。

日本の電機メーカーの凋落ぶりは激しい。この背景には創業者はとうの昔にいなくなり、そして意気地のないサラリーマン経営者ばかりになったという事実があるが、そもそも意気地のあるリーダーが日本を引っ張って活躍したということは歴史を見てもあまりなくて、意気地のある忠臣がこの日本にいなくなったのが一番の変化点かもしれない、とわたしは思っている。

この話はもうすこし書いてもいい。もっとうまくまとめて書けると思う。ざらっと思った順に一気に書いただけだから。
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Comments 5

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白猫次郎  

No title

さすがに大企業で役員張った人の分析は酔眼ですね。どうもありがとうございます。良く僕には今まで分からなかった部分がはっきりとわかるように説明されてありました。こうした議論というか、思考というかをハッキリと論題化する必要が「日本企業の経営学の本義」だと思いますね。こうした視点から「東京裁判」を読むと、軍人の発言の意図が日本人にもわかりやすいと思いましたね。

結局はワンマン創業者以外はクソになるという結論ですかね、資本主義は?

2015/11/26 (Thu) 15:12

白猫次郎  

No title

訂正 酔眼ではなく「慧眼」ですね。失礼しました。酔ってちゃ見えないですよね。

2015/11/26 (Thu) 17:03

ハルトモ  

No title

> 白猫次郎さん
忠臣はえてして暴走します。自分というものがあるからです。
わたしは明治時代というのは本物の忠臣と偽物の忠臣と本物でも分別ある忠臣、暴走する忠臣が入り混じった時代じゃないかと思ってます。それに対して上は一貫して頼りない。だから戦争へと突き進んだ。

尾崎行雄の有名なセリフがありますので引用しておおきたいと思います。

彼等は常に口を開けば、直ちに忠愛を唱へ、恰も忠君愛国は自分の一手専売の如く唱へてありまするが、其為すところを見れば、常に玉座の蔭に隠れて政敵を狙撃するが如き挙動を執って居るのである。彼等は玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へて政敵を倒さんとするものではないか

2015/11/26 (Thu) 23:02

白猫次郎  

No title

暴走する不忠臣として28の時に僕は労働組合を作りまして、3年ほど「闘争」した経験があります。そんな流れでいつの間にか、社長のやり方を覚えたような記憶があります。それを棄ててたのは実は「三島由紀夫」が嫌いだったからでした。

ハルトモさんの組織論は実に僕には面白い読み物です。ぜひまた機会を見てお書きください。

2015/11/27 (Fri) 10:20

ハルトモ  

No title

猫次郎さんに闘争された社長はたまったもんじゃない。とんだ災難だったでしょうね。

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