自信と慢心

2016年03月21日
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日々の雑感ーリタイアライフ
ある知人と酒席をともにした。株式投資がうまくいっているそうで、今の資金量が5千万円にまでなっているそうである。そのうちのかなりの部分は含み益でポジションを取っているから今全部売れば5千万円という意味だろう。その金融資産に加えて持ち家でさらに一軒マンションを貸している。さらに年金やまだ働いている給料もある。入ってくるお金だけでも使いきれないと思われる。

その彼が言う。「5千万円を1億円にするのが当面の目標」と。さらに言う。「株式投資は難しいもんじゃない。きちんとしたやり方をすれば株は勝てるもの。」これを他の人間に自信満々で語る。その隣でわたしが株なんか儲からないから止めておけと首を横に振る。そうすると「そういう後ろ向きの考え方がダメなんである。」
こういうノリだから、他の人間は皆その知人の話を熱心に聞くことになる。それで蘊蓄は続くわけである。わたしの言うことは受けないし、わたしは知人にも自分の資金量は言わないから説得力もない。まあ儲けた上で止めておけでも説得力はないんだろうが。

わたしは知人というか友人なので、もう株など止めたら良いと言ってあげたかったがとてもそういう雰囲気じゃなかった。5千万円と1億円にする意味はなんだろう? キリがいいから? 確かに個人投資家として一億円というのは魅力的な響きはあるのかもしれない。でもその知人は年齢から言っても、もっているキャッシュフローから言っても、一億円のキャッシュは必要ないとわたしは感じる。入ってくるお金だけでも使いきれない。その知人は慎ましい生活ぶりそんな贅沢はしていない。借金もないし、子供の養育費の心配もすでにない身分なのである。

一億円を仮に達成したら、その次はどうするんだろう? 二億円? 金儲けそのものが面白いというのは、わたしはあまり感心しない。金なんぞは要るだけ稼げばいいというのがわたしの考えである。それに万が一なにか合ったらその5千万円など消し飛ぶ可能性だってある。5千万円の資金があるならポジション500万円からせいぜい1000万円、程度。それ以上は持っちゃだめだろうと、わたしは思うけどね。でもそれじゃ一億円は達成できないからと我慢できない。

そこが危ないとわたしは思うけど、ただこればかりは正直わからない。自信と慢心の差は結果でしか証明できないのである。その知人が2億円も通り抜けてどんどか儲けまくって、、そして最後まで転けない可能性だってあることはある。ただその確率は低いというだけである。

わたしの場合はすでに儲け終わっているので、10年後に破綻している可能性はほぼない。その代わり大きく資産を増やしている可能性もほぼない。ただキャッシュポジションが多いので大暴落でもあれば出動するのかもしれないが、でもそれも余裕の範囲でだ。乾坤一擲なんてすでに必要ない。

ケチケチするわけではなく、金はそこそこは使うつもりだ。夫婦でゆとりある老後の月額が月に35万円とヤフーニュースに出ていたが、そんなもんじゃゆとりとは思えない。それよりずっと多くは毎月使い続けるだろうが、わたしの最大の関心は金の使い方より時間の使い方である。時間は金みたいに増えないしね。少なくともこの20-30年はとても良い時間の使い方をしてきたと自分では思っている。これから、さてどうするかね? ゆとりを持って悠然と考える、これも良い時間の使い方だ。ゆとりというのは選択肢の多さでもある。
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