50年ブログを続けたら
2015年12月31日
ビルゲイツ氏のコメントについて冗長に書いたが、ビジネスの世界で大成功して大金持ちになったというのが凄いぞとそれをそっくり真似したいならいざ知らず、そんなことまったく興味のない私から見ると彼がどれほどの人生の達人かはわらないということになる。わからないのであれば大仰に頷きながら関心して読む筋合いはないが、かと言って馬鹿にすることもない。少なくとも知性あるいい年した大人が真面目に語っているのだから、それは傾聴には値する。このブログの読者がわたしのブログを笑読するくらいの姿勢でちょうど良いだろう。そういうことで傾聴の証としてこうやって己の考えを書き連ねているわけだ。わたしは人間の内面というのは実は成功者とそうでない者でさほどの差はないと思っている。
まだ年賀状を書いていない。住所録はパソコンから打ち出せばすぐだから、あとは原稿を書けばよいだけである。わたしは毎年何がしらの文言を書けばすぐに印字できる。これだけブログを毎日書けるのだからすぐに書けるんだが、年賀状の数を減らそうと思っているので少し遅れて出そうと思っている。来たものには返事をする。それと長年会ってはいないが是非また会いたいと思う方には出す。それ以外なんだか惰性でやりとりしている年賀状は止めようと思う。サラリーマン時代の名残りであるし、だいたいこれだけメール、SNSが発達しているのにわざわざ人に運んでもらいたいと思わない。明日にブログでなんか書けばそれが年賀状みたいなもんだろう。
年末年始はブログ更新を休む人が多い。わたしは関係ない。毎年大晦日だろうが元旦だろうが酔っぱらったり寝てない限りは書いている。昨年じゃないや今年か自分が書いた記事を今読んでみた。うーん1月3日の文章なんていや激しく同意する、それになかなかおもしろい。当たり前か自分で書いているんだから。思うことをそのまま書いて後から我が意を得たりと得心するってことは、それは作っていないということかと思う。これだけ書いて作っていたらどこかで辻褄が合わなくなる。
ただ辻褄なんて気にしていない。だから逆のことも平気で書いたり視点を変えるのも頻繁だ。それは辻褄が合わないのとは意味が違う。多様な視点で斬新な切り口で物事を見たらさてどうか?というだけの話である。そもそもこのブログに主張はない。なぜなら何かを主張するほど立派な人間ではないからである。ただ言いたいことはある。受けたいとも思う。それがある程度できれば楽しみにこのブログを覗く人は減らないだろう。わたしのブログは一度読み出した人はずっと長く読む傾向があるから古い読者が多い。そしてすでにたぶん一番古いほうのブロガーだろう。おもしろいだろうね。50年ブログの更新をマメに続けているってなったらたぶんニュースになるんじゃないか? 続けていればいずれそうなる。生きておらんといかんがね。そうやって何事もないように続けられるのはこれは楽しいからで、意志の力なんてそんなもの役に立たなくらいにわたしは思っている。だから誰から学んで、よし俺もやるぞとか、まあそういう気分になるのも悪くはないが、だからどうだと言うとそれほどのもんじゃないということ。
まあ敢えて言うなら楽しく学べということ。真面目に人の話を聞いていてところがやっていることを見たらホンマにわかっとんのかいな?と首を傾げる人間はいくらでもいる。一方聞いていないようでちゃんと学んでいる人間もいる。ようはどんな内面も最後形で現れるということだ。
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