眼鏡のつるさえ直せない貧乏の彼方に

2022年01月04日
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人生の考え方

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50年以上前に児童養護施設にいた時はそれなりに惨めな思いをしました。遠足で日の丸弁当で端にほんの少しの玉子焼き。隠して食べるか、はたまたわざと頼まないで忘れたふりをするとかでした。着ている服はみんなお下がり。靴までお下がりでした。ただ壊れたものを直してもらえないということはなかったです。例えばメガネの度が合わなくなれば新しくしてもらえました。運動で体がぶつかってツルが折れれば修理してもらえました。もちろん体に異常があれば医者に連れていってもらえました。それが親父が再婚して引き取られて見窄らしい市営アパートで暮らすようになると、また別の意味での貧乏を見るようになります。貧乏というより貧乏根性です。

昔の華奢なセルロイドのフレームが一番安いのでそれを買います。でも体と体が当たるような運動とかすると簡単にツルがポキっと行ってしまいます。メガネをはずとど近眼で見えない。だからバスケットとかサッカーとか相手の選手と接触するスポーツではメガネを時折破損しました。みんなそうでした。ところがそれを家に持って帰って壊れたと親に見せると、親父が烈火の如く怒るんです。殴りかかんばかり。メガネ壊れただけで晩めし抜きです。結局修理するお金がないというかもったないと言うか。そうなりますと、メガネを壊したら大変だということになりますから、学校ではバスケとかサッカーは真面目にやりませんでした。ヘディングなんてとんでもないことです。だから身体能力の割には下手だということになりました。一方得意なのは陸上とか。でも陸上ってそんな好きじゃなかったです。それで相手と当たらないバレーボールならいいかなとバレー部に入ったんです。でも遠征で試合に行く時も電車賃くれないのです。だから自転車でチームメートとは別にどこでも行ってました。

読んで信じられないという人もいるかもしれませんが、もっと酷い話もあります。わたしは前歯が差し歯でした。児童養護施設で遊んでいて折れたので差し歯にしてもらった。これがなにか拍子に外れる。そうすると親父がなんと言うか?セメダインで自分でつけろと言うのです。でもうまくつかない。仕方がないので親父がすごい年寄りがやっている歯医者にわたしを連れていってデンタル用の接着剤でつけてくれと頼む。歯医者はそんなことしても意味がないと言うけど親父がとにかくつけろと言う。安いのでしょう。それで親父が言うのです。前歯で噛むな、と。でも食べ盛りの中学生です。なにかの拍子にまた外れると、そうすると親父が本当にこいつには参ったなあ、どれだけ迷惑かけるんだという眼差しでわたしを見るんです。保険でも歯は治せたはずですけど、その治療費さえないか、他でお金が忙しいから出したくなかったんでしょう。

こんな経験を通じてわたしが学んだことは、貧乏だとリスクを取れずに行動が制限されるということです。メガネが壊れるのが怖くて思い切りグランドを走り回れないなど普通の家の子は思いも寄らないでしょう。本当はわたしは子供の頃、エンジニアになりたかった。夢は造船技師でした。船の設計図をどこだかで見てとても美しいと思ったんです。こんな図面を書きたいと思いました。でも大学進学で理系は無理とわかりました。新聞配達をして働きながら進学するしかない家だったからです。もちろん塾とか予備校なんて行かせてもらえません。でも結局会社でほぼ理系の仕事をさせてもらえました。ずいぶんと勉強しましたけど楽しかったです。それが転職の背景でした。

ということで貧乏からのしあがるためにはリスクを取る必要がありますけど、結局貧乏人はそのリスクが取れないのです。ただゼロではないです。豊かな家の子が普通に何度もできるチャレンジが、たった一度にかけるとかになるわけです。その一度のチャンスを全身全霊で生かす。なんかわたしの人生観というか勝負勘というか投資スタイルに通じるものがありますね。逆にわたしの投資スタイルは生い立ちから来ているのかもしれません。ただ少ないチャンスを生かせる人は多くはないです。またチャンスらしいチャンスを得ずに終わる貧乏人もいるんだと思います。わたしは本当に運に恵まれたと思います。もちろん待っていてはダメです。とにかく走り続ける。それも速く。そうするとブレーキもアクセルもハンドリングも生きてくるって気がします。己のエネルギー指数を高めることです。リスクを取るというんじゃなくてとにかく早く走る。そうなるといろいろ技が繰り出せてチャンスを大きく生かせる気がします。

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スキー場に行く道も
スキー場も雪が降り続きます
圧雪が間に合わないので滑りづらい
早めに上がって
マンションに戻り温泉にゆっくりとつかり
こんな記事を書いてみました
自室から雪景色を眺めていると飽きもしません
リッチだなと思う一方で郷愁も感じるということですね

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トール  

エンジニアとして

ハルトモさん、
こんにちは。トールです。
わたしの小学生の頃の憧れは三菱電機に勤めていたエンジニアの叔父さんでした。まさにロールモデル。
夢叶い新卒で大手コンピュータメーカのシステムエンジニアとなりましたが、あまりの残業の多さに身体を壊しました。残業100時間やっても終わらないシステム開発。プロジェクトマネージャーとしてシステム子会社、ソフトハウスを指揮してわかったのは、これだけ働いても病気になってもこの会社の経営者は従業員を労う事はない。上司の部長は自らをゲシュタポと言い組織をさらに緊張させました。また、銃後の備えは任せて前線の皆さんは死んで来い、とも。笑い
エンジニアに死んで来いは、誰にでも分かるおかしい指示です。おかしい会社は誰にも分かります。
おかしい事がわからないから、会社はおかしくなってしまった。笑い
当時の経営者が成果主義を使い自らの責任を放棄して従業員にその経営責任を押し付けたのが明白な事件として当時の新聞を賑わせました。

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