本物のFIRE、偽物のFIRE

2021年04月15日
0
株式投資
16183646100.jpeg
那須の打ちっぱなしはネットで囲まれてないです
落下地点までゆっくりと見ることができます
50球で250円

雨が降るとゴルフもお客さんが来ないので自発的ですがアルバイトがなくなります。本当に水商売だなって思います。そんでもってゴルフの練習に。急に練習がおもしろいのです。自由人なんだからつまんなきゃやるわけがないですね。

本物のFIREと偽物のFIREてのがいると思います。例えば会社を辞めて実家で引きこもってデイトレやってる人間なんかはFIREて言わないと思います。場当たり的で一生続くとは思えない。実際会社を辞めたものの立ち居かなくなってまた労働をするセミリタイア族とかあるいは株の専業さんとか、わりといます。もともとFIREじゃなかったんです。ただ仕事を辞めただけ。一方人生感とか価値観にまで落とし込まれた本物のFIREという人もいます。その人のブログを読んでいて何が違うかと言えば一生やりきってたぶん後悔もしないだろうとそれくらい肚が座っている人ということです。ずいぶんと先のことまで考えておられます。ケチはケチだけどそれも好きでやってるんです。FIREはつまらないとか言う人はたくさんいます。そういう人はやらなければいいだけの話です。わたしもやりません。というかできない。わたしの感覚だとFIREする人は凄い貧乏とか凄い金持ちの家の子はいない気がします。いわゆる普通の家の子が、追い立てられるようなラットレースを避けて生きたいという結論がFIREじゃないかなって気がしてます。わたしは超貧乏の出なんでのしあがるのに必死でそこでは止まれなかった。

FIREをするような人は自分でやりたいようにやっているだけで自分が正しいなんて言いません。だから議論などするもんじゃないです。そういう人生感の人もこの世にはいるんだというだけの話なんです。あくまでも本物であればの話ですけど。結局どこで足るを知り穏やかな生活を手に入れるかということかと思います。わたしはいつも計算しながら生活するのは嫌です。ゼロにはできないけどなるべく計算しないで生きていきたい。一方自分では無駄に高いなと感じるものを買いたいとかは思わないです。そんな凄い贅沢なんてしたいと思わない。食べ物だってそこそこ美味しいものを食べていれば十分。かと言ってそんなせこくもやりたくない。てことでこのブログに書いているような暮らし向きになっています。それから使命とか義務とかはたまた権利とかを意識しないで暮らしたい。そういうものは大切なことだと思いません。自分がしたいことしてまさに今を生きる,嫌なことはやらない。よく人のためにとか強調する人がいますけど、人のためになって一番喜んでいるのは自分なんですよね。じゃあ自分を喜ばすために人を助けてる言えばいいのにってわたしは思います。わたしの心持ちは案外FIREに近いかもしれないです。


関連記事

Comments 0

There are no comments yet.

コメント投稿

更新順
同カテゴリ