間抜けという理由では裁かれない

2015年05月02日
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日々の雑感ーリタイアライフ
長年眼鏡を使用してきた。たまにコンタクトもしたが、メガネでもコンタクトでも外した瞬間の開放感というのがある。うすらぼんやりと見えるというのが楽なのである。それで近視の裸眼でパソコンに向かうと画面だけに焦点があって、それで他の景色はぼやけている。そうなるとパソコンに向かう集中力が増してテキストがどんどん出てくる。ところがだ遠近両用眼内レンズを入れたら、どこもかしこもクリアに見える見える。まず外してふーとリラックスというわけにはいかない。ずっとコンタクトをつけっ放しと同じである。パソコンに向かってもふと見上げると景色が飛び込んでくる。下手にあちこち視線を送れない。これが当たり前であるはずなのだが、あんまり長いこと当たり前の生活をしてこなかったので体がとうに忘れてしまっているということだな。今までと比べてあまりよく見えるのでいろんなものをけっこうまじまじと見てしまう。人様への視線がどうも不躾になってしまう。ちなみに職場の女性はほとんどノーメイクである。宿直明けの寝ぼけ眼も見る羽目になる。今まではうすらぼんやりと見ていたものが、どーんと目に飛び込んでくる。これはあんまり気分の良いものではない。それから表情とか目の動きとかも良く見える。

何かというとわたしを目の敵にする女性の同僚、今まではよく見えなかったから気にしていなかったのだが、いざ良く見えるようになると、精一杯というか渾身の敵対的目線をわたしに送っていたのね。ご苦労様である。その同僚から今日も叱責された。
施錠を常に励行してください、と。施設は納戸とか浴室とか、あと収納とかあらゆるところに鍵がかかっている。職員はたくさんの鍵を持ちあるいて子供が爪切り出して、体温計出して、綿棒出して、バンドエイド出して、ゲーム出して、その度に鍵の束の音をジャラジャラさせて、おもむろに出してやる。わたしにはこの瞬間がまさに看守に見える。

複数の子供がわたしに言う。「施設にいたハルトモさんならわかると思うけど、大したことないものいちいち職員に言わない手に入らない。自分じゃ綿棒一つ自由にならない。屈辱的なんだよね。」この気持ちはわたし以外の職員には理解できない。細かなことが積もり積もってしまいには職員の鍵の音を聞いただけで不愉快になる。それでイライラする。でもなんでイライラしているか職員には理解できない。それで気分が不安定だとか生い立ちのトラウマがなんて勝手な見立てをする。まったく児童養護施設というのは適当である。

それでわたしが勤務しているときはなるべく施錠を外したままにする。子供は鍵をかかっていると思ってわたしを呼ぶがわたしがドアノブをすっと回すから、子供の前でいやらしく鍵を開けずに済む。こういう細かい気遣いが実はハルトモ君はしているのである。もちろんツボは押さえているので貴重品がなくなるような羽目にはならない。

わたしが施設にきたばかりの頃、その敵対的女性社員はよく子供とトラブルになっていた。子供からゲームなど預かって納戸に鍵をかけて置いてあるはずなのにそれが紛失するのである。いくら鍵がかかっているとは言え、大切なものとどうでも良いものを一緒に置いてある。それでちょっとした隙をついて子供が納戸に入って取ってしまった、と思われる。それから自分のものを勝手に持ち出して返さないとか。子供たちは大人のすることをよく見ているので、たまたま締め忘れた遅れた、そこを子供に突かれる。ちなみに子供のものがなくなっても一切握りつぶして上には報告しない。自分はちゃんとやってます、と思い込んでいるのだろう。

その女性職員はお金の管理も杜撰である。担当の子供が本当は職員が管理すべきキャッシュカードを自分で持って勝手に下ろしているのを半年も気づかず、高校生が50万円も浪費してしまった。半年も気づかない間抜けぶりだが、キャッシュカードを勝手に出した職員も別にいてその人間もわかっているのに、ふたりはなんの責任も問われない。それでそのふたりはハルトモはいい加減だいい加減だと連呼する。わたしは施錠はしないが彼らのような間抜けはしない。わたしはその手のトラブルはない人間である。この程度でわたしは自分が賢いとは思わない。彼らが間抜けなだけだ。この厳然たる事実があるのに、ただルール規則とうるさく言ってハルトモはとんでもない、と騒ぎ立てるのであるが、ある意味毎日関心して眺めている。こういう人たちもいるのであると。

この数日は職場は混乱した。小さなこどもが水疱瘡の可能性があり隔離して様子を見ることになった。また新しいこどもが入所してきた。こうなると宿直の職員は寝るところもない。またおちおち寝てもいられない。こういう時こそ園長が状況を把握して適切な体制をとるべきで必要とあれば自らも現場に出るべきだとわたしが思うが、園長は、「大変だ、万全を期してください」と言い残してGWの休み入ってしまった。(この点においてはわたし以外の職員も皆同意見である。ある同僚によれば現場に積極的に入って改革をリードしている施設長もいるんだと)

ただ今日の様子ではどうも水疱瘡ではないようである。園長が出てくるころには確定しているだろう。そして水疱瘡でなかったとわかり、ああ、よかったと喜ぶ。祈りそして喜ぶあるいは悲しむ。園長はクリスチャンだから確かに宗教的である。確かに善人の振る舞いだ。ここでは誰も間抜けという理由では裁かれないのである。

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