本を読むということ
2014年10月14日
最近は小説というものを読む気がしない
子供の時から若いころは
ノンフィクションよりフィクションばかり読んでいた
もちろん今でも娯楽という意味で
フィクションは映画や小説でもありうるが
娯楽というのは殆ど暇つぶしであるから
その程度のものしか読む気がしない
いわゆ文芸作品は読む気がしないということだが
これは年を食って
多分、他人様の精神世界につきあうのが面倒になったのだろう
と勝手に思っていたが
どうやらそればかりでもないと
思い当たる本を読んでいる
小林秀雄と岡潔の対談集
「人間
の建設」である
の建設」である
文系の天才と理系の天才の対談だ
ご両人が言うにはピカソは長くは見ていられない絵だと
ピカソは自分がこう思う、てものを突き付けてくるけど
そもそも人間がどう思うかなんてより
事実はずっ重いもので
それを素直に受け止める心持なしに
自分がどう思うかも何もないだろう、ということか
同じ本に曰く
正倉院に当時の人々の手作業の記録があって
それを丹念にじっと検証するという仕事があって
それを数時間続けて
そのあとで雑木林を見ると
すべてが美しく見えるんだそうだ
あの枝ぶりがいいとか、ここが美しいとか
そんなことを言うのは傲慢だ
とつくづくわかると
天才はこの感覚を常時持てるんではあるまいか?
坂本繁二郎という絵描きがいて
徹底的な写実主義で
小林秀雄も数点買っているそうだが
そのくだりを引用してみよう
自我が強くなければ個性は出ない、個性の働きを持たなければ芸術品は作れいないと、考えていろいろやっていることは今日本も世界もそうです。言い絵がだんだん描けなくなている原因の一つと思います。中略、、、、、 今の芸術家はいやな絵を押し切ってかいて、ほかの人には描けないと威張っている。
さらに飛んで
それは要するに写実しか認めないのです。今の絵描きは自分を主張して、物を書くことをしないから、、、、物を書かなくなって自分の考えたこととこか自分の勝手な夢をかくようになった、、、おもしろい絵ほど人をくたびれさせる。物というのは人をくたびれさせるはずがない。
ご両人のような天才でなくても
これは私程度にも実感で通じるものがある
個人的な思い出だが
10数年前に大きなポリープを取った
その時の外科医の処置がどうだったか?
わたしは大量に出血する羽目になった
血圧が猛烈に下がって意識が遠のく
死ぬかと思ったが、
そうでもなかった
ちゃんと蘇生してくれた
退院して世間をみると景色が一変していた
すべてが鮮やかに目に飛び込んでくる
飛んでいるハエ蚊さえ愛おしい
自分が生きているということをありがたいと思うだけで
景色はこんなに変わるものか
これに正直驚いた
そして思った
自分が考えていることなど、どれほどのものでもないと
読書とは何かと問われれば
今のわたしにとっては基本的に暇つぶしである
なにかそれをもって人間的に成長するわけでもなし
とうてい高尚な作業とは言い難い
若者こそ読書すべきだろうね
ハルトモのように出来上がってしまった人間にとっては
他人様の精神世界に飛び込む
柔軟さがないと思える
知人で若いころ全然本を読まなくて
年を食ってからたくさん読んでいた人間を知っているが
読んだところで何も変わらない
暇人の暇つぶしにしかならない
すでに何か入ってくる入れ物がないのだ
その一方で年を取り
経験を積むほどに事実のもつ重みが
体にずんと響くようになる
自分の人生を慮るせいでもあろう
ということで
今のわたしは事実に基づいたものが好みなのだが
その意味では
このブログは我ながらよく描けている
文章力なんて話じゃないのだろうな
なんだかよくわからん文章になってきたが
せっかく書いたのであげておこう
- 関連記事
-
- さすがに疲れた 2018/04/13
- 結婚式にたくさん出たいな 2017/12/16
- 居場所 2016/01/12
- GW 2014/04/26
- コストダウンした現物株 2014/07/17