投資家の視点、実業家の視点

2014年08月19日
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株式投資
株式会社というのは
その起源において実業家のためのものであり
実業家が存在しなければ投資家は存在できない
実業家のほうが数は少なくて
投資家はたぶんいくらでもかわりはいる
とは言え、この現代では両方たくさんいるが
 
投資家の中には投機家と称される人々がいる
ここで仮に
企業を見るのが投資家
株価を見るのが投機家
としよう
ちょっと言葉の定義に不自然さはあるが
イメージでは投資と投機で
よさげだからである
 
投資と投機
だがこの区別は個人の中でも難しい
わたしを見ても
投資も投機もするからだ
ただわたしは殆ど投資家と言えるだろう
 
ほとんどの個人投資家は投資家であるべきとわたしは思うが
実際は株価に翻弄される投機家がほとんどだ
企業を見てはいるがその目はふし穴で
株価も見ているが、その嗅覚はすっとこどっこいだ
 
今ネットで個人投資家を見ると
成功している人はほとんどが投機家のようだ
 
100の新たな企業があったとして
どの企業が将来成功するか
大化けするか、はたま行き詰まるか?
それは誰にも予測できない
 
というのが
投機家のスタンスである
 
もっと言うなら
そんなことどうでもいいという人までいる
企業の実態なんかどうでもいい
株価だけ見てればいいのさ
ということだ
 
これはもっともにも聞こえる
それでも勝てるのだろうが
投機家の虚しさを反映する言葉でもある
 
なぜなら視点を実業家におけば
起業をするなど馬鹿げたことだと、言っているように聞こえるからである
 
だが冒頭に書いたように
実業家がいなければ投資家は存在できない
 
ビジネスを起こす人間はうまく行くという目論見があるから起こす
それをどの企業が成功するかわかりっこない
考えても無駄だと言う
それがその通りであるなら
実業家は無駄なことを考えていることになる
 
それはありえないと私は思うから
投機家で分別をわきまえない発信は
読んでいて得心がいかない
 
資本主義の呪われた部分と表現する投機家がおられる
まさにその通りと快哉するのは
わたし自身も多少投機をするからだ
正直
わたしは投機にうしろめたさを感じる
それはわたしの個人的な感情だから
別に共感は誰にも求めないが
いうなら殺生の感覚である
無駄な殺生はしたくないのである
 
わたしの場合
投資の時代は終わった
今後やるなら投機の側面が強い
今のわたしは大化けするような企業を発見する力はないし
専門とする業界自体がそれを許さない趨勢となっている
だからあまり乗り気でない
 
本当に投資を行おうと思えば
実業家の視点と力量がいる
それは容易なことではないが
 
実は企業に勤めていれば
一生の間に1度か2度はそういうチャンスがあるのである
(それくらい少ない)
それを見切って行動できればよし
 
不可能だ、と言い放つのは
ちょっとお立場わかってないんじゃないの
てな気持ちになる
 
この話は
また続けよう
十分書き切れてない
 
もっとも何か書ききるためにブログを書いているわけじゃないけどね
 
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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Comments 3

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白猫次郎  

No title

商売をマネーゲームだと割り切ると投機家になっちゃうんだろうと思います。リスクヘッジで株式という分散が起きたという部分は、投資も投機も所詮、運の要素を排除できませんから。だからこそ面白い。真面目だけでは勝てない要素があるからですね。
ちっぽけな実業を少しした経験から思うのは、投資のチャンスは狭き門で、しかも時間はごく限られます。大資本が圧倒的に有利です。投機も同じですが、それでも分散が任意という点で個人ムキではあります。家族を巻き込まないのが投機の良い点で(もっとも僕は家族名義の口座もあるんんですが)事業をすればどんな小さな商売でも家族をいやでも巻き込みます。小さな花屋でも僕は運転手です。時間効率、資本効率は相場の1/100でもしかたがない。(マダムの趣味に近いですね。)

2014/08/19 (Tue) 11:19

ハルトモ  

No title

いつもコメントありがとうございます。
お返事になっていないかもしれませんが、記事を書いてみました。

2014/08/19 (Tue) 16:26

ハルトモ  

No title

言わずもがなでおわかりいただけると思いますが 記事そのものは猫次郎さんに宛てたものではないです。

2014/08/19 (Tue) 16:38

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