投資において「謙遜」と「謙虚」を混同している人は多い

2024年02月12日
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株式投資
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わたしは企業勤めで社内外それはたくさんの人に会いましたけど、謙虚な人かどうかなんて会って一目でわからないです。しばらく付き合ってようやく謙虚かどうかわかると思います。だから初対面で「とても謙虚な人でした。」なんて言い方はわたしはしないし、そういうことを言う人は表面しか見ていないんじゃないかなって思ってしまいます。人間てのはいかようにも振る舞えますけど、それは慇懃とか腰が低いとか言った表層的なものでいくらでも繕えるものです。態度を見て謙虚だと言うならそれは言葉遣いが間違っている。「へりくだった態度で腰の低い人でした」って言うならそれは一目でわかります。その時はそうだったってことでしょう。そもそも人間というのは相手との関係性によって態度が変わるものです。自分にへりくだった態度を取ったとかあるいはテレビとかネットで不特定多数にへりくだったとしても、その人を「謙虚な人」と人間性を見抜いたかのごとき表現をするのはわたしはむしろ傲慢に感じます。

さてでは謙遜と謙虚は何が違うのでしょうか? 実は謙虚な人とは言いますが謙遜な人とは言いません。謙遜というのは「謙遜する」という動詞なんです。つまり謙虚なという形容詞と謙遜するという動詞の違いです。さらに謙遜てのは自分に使う言葉ではないです。謙遜てのは目標が高くて自分は足りていないと感じて「自分なんかまだまだです」なんて言うと周りが「謙遜している」って言うもので、「わたしは謙遜しています。」とは言いません。謙虚の場合は「謙虚にしたい」と自分のことについて語りますが「謙遜したいです。」なんて言いません。そうなってくると面白いことが起きます。投資の場合は謙遜しているけど謙虚じゃない人っているのです、「10億株で儲けました」、「凄いですね。」「いやいやわたしより凄い投資家さんがたくさんいます。もっともっと修行して追いつきたいです。」これは謙遜です。しかしたぶん謙虚じゃないです。10億儲けたら大したものでもうそれ以上儲けなくても良いって満ち足りている人の方がきっと謙虚です。

ここが株式投資という業の深さと金欲のなせるわざでお金が絡むと人間はさもしくなるってことです。芸事とか芸術とかスポーツであればいくらでも目標を高く設定して上を上をと目指すことが美しい。いくらでも強欲で良い。これが金儲けだともっともっと儲けたいってのはそれはなんだ? なんのためって話になる。しょせん投資というのは幸せな暮らしを得るための一道具にすぎません、その上で、儲ければ儲けるほど幸せになれるわけでもないのです。ごくごく限られた「投資を極めたい」って考える求道家さんてのは確かにいますけど、ほとんどの投資家はもっと多くのお金が欲しいって思っているだけでしょう。そういうことで投資の場合は儲けて謙遜している人はわたしは足りていない人なんだなって思っています。さてここからようやくじゃあ謙虚ってなんだ?て話になっていくのですが、、、今日はここまでにしましょう。まあ手短に言うと、投資で負ける人は謙虚さが足りない人がほとんどだと思います。いくら態度や言葉づかいだけ丁寧にしても相場の神様はそんなものすぐに見破るのです。


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