東北大震災3日後に現地に赴いた記憶

2024年01月15日
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日々の雑感ーリタイアライフ

東北大震災があったのは3月11日だったわけですが、わたしが愛車フォルクワーゲントゥーランで買えるだけの水と食料を満載してさいたまから気仙沼に向かったのは3月14日だったと記憶しています。それで気仙沼に到着できたのは15日さいたまに帰ってきたのは16日ってことです。古い読者ならお覚えの方もいるでしょう。ありとあらゆる道路は分断されて陥没したり隆起したり到底安全に走れる状態ではないのですがまだ通行止めにさえなっていなかったです。もちろん高速道路なんて閉鎖されていますから一般道を迂回迂回の連続でした。気仙沼は海のそばですが海のそばは全滅状態ですから山の中を走りましたが陥没隆起に加えて落石崖崩れ、それをなんとか乗り越えて気仙沼に入ったわけです。それで何万人と言う被災者がいる避難所か実母のまっちゃんとしみちゃんを見つけ出してそのまま水と食料は寄付してさいたままで取って返しました。帰りは行くより時間がかかりました。なんといっても気仙沼から栃木の北部くらいまでずっと被災地なんです。徹夜を2回続けてやった。よく行って、そして見つけて、そんでまた帰ってこれたなと思います。しみちゃんは危ないとさすがに思ったのでいくつかの病院を訪ねましたがどこも断られました。それはそうでしょう。いくらでも怪我人病人がいて野戦病院みたいなんです。結局さいたまの病院にしみちゃんを担ぎ込みましたが、医師から助からないだろうと言われました。が奇跡的に持ち直した。もう1日どころか半日遅ければ亡くなっていただろうと言われました。ということでわたしは伯母のしみちゃんの命の恩人になった。

一生の間に人の命の恩人になれるという栄誉を与えてもらったわけでよく頑張って生きてくれたなと思います。わたしがしたことは無謀だったと言われるのは承知ですが、わたしは自分の観察力、判断力、決断力、そして勘、もっている知性と行動力のすべてを投じて二日間集中しつづけて動き続けた。今でも不思議だったのは山道を気仙沼から帰る時に初めて通った道を逆に走っているのに、このコーナーの先に大きな落石があったと急に思い出してブレーキを踏んですんでのところで衝突が避けられた。数え切れないカーブの連続でなんで覚えていたのか? たぶん覚えていたんじゃないのです。理屈では説明できない力をわたしがそこで発揮したんだと思います。結局車と共に無傷で帰れたのは奇跡だったと思います。でも帰ってきて妻はわたしに言ったんです。わたしならやりきると信じていたって。だから行くのも反対しなかったって。確かに妻は反対しなかった。でももう一人信じていた人間がいたんです。それはわたしです。わたしは自分で行って帰ってくるって自信があったから行ったのです。わたしは自信がないことはやらない人間です。奇跡だとは思いますが奇跡を起こす自信があった。二人を見つけて連れて帰ってこれたのは幸運でこれは神様のおかげです。最初に行った避難所をぐるりと探して回っても見つからなかった。別の避難所に行こうとした時に、不思議なことに「もう一度落ちついて冷静に下がせ」ってどこからか声が聞こえた気がした。それでもう一度戻ったらなんと見つかったのです。4歳の時に別れてその後2回しか会ってないから顔もよく覚えてないのに見つかった。伯母のしみちゃんなんて初めて見たよって感じでした。まあこんな思い出ですが、今能登半島の方々は大変だと思います、わたしが言うのも変ですけど、無理をせずに安全第一で避難生活を送っていただきたいと思います。当時のブログ記事は過去ログにありましたので一部抜粋しておきます。

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