やたら人を褒める人っているじゃないですか?

2023年10月13日
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人生の考え方
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こんなこと言うのは私だけかもしれないけど、人を褒めるってのは良い行動だと当たり前のように思いこんでいる大人が多いじゃないですか?でも「褒める」てのは大人特有の行動で少年少女の心根を忘れていくプロセスとシンクロしているって気がわたしはするんです。褒めるの裏にはたいてい何か思惑がある。少年少女は褒めない代わりに感動します。大人は感動しなくなっていくと同時に褒めるという技術を身につける。違ってますかね? それほどのことでもないのにやたら人を褒める人間てわたしは簡単に信頼しないです。誰でも褒めてんのかなって思っちゃう。その理由は簡単に人を褒める人ほど人のことをよく見ていないことが多いのです。あるいは褒めるまでの情報を持ってないはずなのにもう褒めてるとか。褒めるが予定調和的結論になってたりする。感動を伝えると言いますけど、褒めるを伝えるとは言わないでしょ。褒めるは何か心の動きとかざわめきがあったからそれを伝えるんじゃなくて、最初から目的を持った行動じゃないでしょうか? 

だから何のために褒めてんだろうって、それは考えたくなる。もちろん褒めるってことは悪いことでもないし必ず裏があるわけじゃないです。軽い気持ちでうまくやりたくて褒めてることもある。ただ「感動」という言葉を真面目に考えると「褒める」とは根本的に違うだろうって話です。大人になって身につける素晴らしい心持ちに「感謝」ってものがあると思います。若者はあまり感謝しないです。だから少年少女が大人より良いって話でもないんです。大人になって身につける素晴らしいものもある。そこで思うのは「感謝の気持ちを伝える」って言います。感謝するだけなら自分の心の中の話なんです。「褒める」最初から人に見せるものです。わたしは褒めるって行動の背景に、相手のことをわかった気になっているてのも感じるんです。でなきゃ褒められないでしょ? それも言葉に対する訝しみに拍車をかけます。わたしは感心しましたって表現はわりとします。感心は自分が感心したからこそ感心です。それを伝えているだけです。ということで「感動」「感謝」「感心」あるいは「感激」「感嘆」、この感がつく言葉を大切にしてそれを人に伝えていけばよろしんじゃないかなってそんな気もします。


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