人生において不自由な時期をむしろ大切にする
2023年08月21日




我が家は夫婦では泊まりで旅行に行くのは不可能ではないですが非常に難しい状態です。仮に行っても一泊です。先月妻が上海に行きましたが事前準備を含めて大事業でした。一泊だけなら那須でゴルフということです。ゴルフはさいたまで日帰りでできますが7月8月とあまりに暑いのでやってません。しばらくはこういう状態が続くと思いますが、それでもつまらないという感じはしません。近場で遊ぶ方法はいくらでもありますし夫婦それぞれ友人と旅行に行くなどは可能だと思います。わたしの場合はどういうわけか縁があってお年寄りを大切にする機会を神様がたくさん与えてくれます。一番最初は親父でした。東京で働いていたわたしは余命半年と言われた親父の病院への送迎のため、金曜日の夜か土曜日の早朝に車で清水に帰りそこから土曜日に浜松の病院にシゲちゃんと親父を車で送ってまた清水に連れ帰りそれで日曜日に東京に戻る。余命半年のつもりが6年続きました。毎週です。6年で300回くらい往復しました。決してお世話になったとは言えない親父でしたが懸命に看護するシゲちゃんを見捨てておけないと、不思議なことに嫌々ではなくもちろん喜んででもなく淡々と往復した6年でした。その後は実母のまっちゃんの姉のしみちゃんとそれと養母のシゲちゃんがダブルで施設に入っていた時はほとんど旅行にはいけませんでした。
不思議なことですがこういうことをしていると嫌だなってひとつも思わない。自分のためにやっているような気にさえなります。そして修行を勤め上げる?とやたら良い方に人生が回っていくのです。わたしの人生の快進撃が始まったのはたぶん親父がなくなった日です。朝一番東京から戻ったらちょうど待っていたかのように親父が亡くなった。病院のロビーで退院?の手続きを待っているとスポーツ新聞が目に入って、そしたらこれだってレースが目に入った。電話投票の残高全部突っ込みました。絶対当たると思った。葬儀に向けてその後忙しくなって結果を確認したのは夜のことでしたが見事的中でした。20万円近くとりました。結果を聞いた時に当然だなって思いました。この勝って当然だなと言う妙に冷めた感覚をわたしはその後株式投資でも経験します。(競輪でも数度あります)説明しがたい確信がごくたまに訪れて、それが外れたことって一度もないのです。これは仕事でも経験あります。誰が何を言おうがこのビジネスは絶対決まるという確信が湧いてきてほぼ独断で15億円の設備投資を進めたりとかありました。外れたらたぶんクビですがひとつも怖いと思わなかった。もちろん受注しました。会社でのわたしの立場が揺るぎないものになった。こういうことを経験していくと、勝負事と生き様は関係があるって信じるようになるのも当然かもしれません。何かあるんです。 ただ大切なのは不自由だなって思うんじゃなくて楽しみながらやることです。6年間東京と浜松を300回往復したけど車で山道を駆け巡っていました。富士箱根伊豆ありとあらゆる道のコーナーを攻めまくった。ずいぶん運転が上手くなりました。面白い話なんで別に書きましょう。
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