「始めに言葉ありき」わたしの言語中枢にあるものは、、たぶん「聖書」

2023年08月14日
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人生の考え方
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ブリューゲルのバベルの塔
ウィーンで本物を見ました
旧約聖書で有名なお話

わたしが人生で一番本を読んでいた時期は小学生と中学生の時です。特に小学生の時。もともと本が好きな子どもだっと思いますが、その子が児童養護施設に行かされてそこで猛烈に本を読むようになった。図書室の本を端から読む勢いでしたが、特にエキサイトしたのは世界に伝わる神話とか民話とかのファンタジーでした。日常生活で嫌な思いをするほどに非日常非現実の本の世界に没入した。本の世界にいれば幸せだった。そこから始まって本がなくてもいつも何か夢想している子どもでした。でもそうなる前段階というものがあったのです。わたしにとって生まれて初めてと言って良いまともな書物とのふれあいは「聖書」だったのです。ミッション系の児童養護施設に入ると毎朝讃美歌を歌い、そして聖書の一節を聞かされるようになりました。そして毎週末ボランティアの人がきて聖書の読み聞かせをしてくれるのです。それがわたしにはファンタジーに聞こえたのです。その時に聞いた聖書の表現で今でも心に残っているのは「ラクダが針の穴を通るより難しい。」これは「信仰心なき者が救われることはない」の「ない」の部分を比喩的に語ったものですがわたしはこの表現に心をときめかしました。聖書というのはしゃれた比喩や例え話がやたら多い書物なのです。ありがたいはずのイエス様の教えにはとんと興味はなかったけどこの例え話がわたしは言語中枢を刺激しいつのまにか鎮座しわたしはいつも上手な例えを考えるようになった。わたしはこの「ラクダが針の穴を通るより難しい」に迫る粋な比喩をいかに放つかにこのブログでも情熱を傾けています。最近ここで書いた例え話にちょっと手を加えると「あなたの怒りのポンプは仇敵の笑いの回路に繋がっている。あなたが懸命に怒りのポンプを押すほどに仇敵の笑い声は高まるであろう。」なんか聖書ぽいでしょ? わたしはこういう表現が大好きなのです。上手な例え話や比喩をするためには、事象の本質を掴みそれをイメージ化する必要があります。今にして思えば物事の本質を多様な視点から切り取りまとめるという訓練を小学生の頃からやっていたということかもしれません。たとえというのは本質を掴んでいなければ読み手の言語中枢を刺激することはできない。そしてファンタジーはいつかリアルと邂逅することで輝きを放つ。このブログもノンフィクションでありファンタジーでもあると思っています。わたしはわたしのファンタジーを実現するために生きているような気さえしているのです。
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