「私の自由人への道 3」ギャンブラーと人並みの幸せと
2023年07月30日
競輪てのは人間が選手として走るということで、わたしが没頭した30年前は人間社会の貸し借りや損得勘定がそのままレースにでていました。何十年も前は大相撲でさえ7勝7敗の人間はほぼ100%当たり前のように勝ち越していた。もしも相撲で賭けができたらほぼ当たったはずです。そんな時代だったのです。競輪というのは風圧との勝負です。だから風圧を避けるために人脈と仲間とでラインを組んで走る。9人でレースをするけど実際は、4、3、2とか分かれている。自分が負けても後ろの人間が勝てばいいってレースも多かった。なぜそんなことが成立するかというと、競輪というのは(今は知りませんが)一着と五着とで賞金にそんな差がないのです。つまり競輪で勝つというのは選手間の思惑、貸し借り、損得勘定、これをどれだけ見抜くにかかっているのですが、当然凄いスピードで走っているし体と体もぶつかるので思惑通りにはなかなか収まらない。そこでどう展開を読むかというわけですが、ある時にわたしは本屋でひょいと手入れた三原某氏の競輪戦術書に衝撃を受けます。今までの自分の行動と真逆のことが書かれていたのです。真逆にも関わらずわたしは「これだ!」って思いました。普通は拒否するはずなのにそうじゃなく逆に信じた。そして書いてある通りやってみようと思った。なにかセンサーが働いたのかもしれません。ただ書いてある通りにやると言っても書いてあることそのままじゃないです。常に応用問題で置かれた状況は異なりますから。でも自分としては書いてあることをやろうとした。そして試行錯誤した。
でどうなったか? わたしは修行僧のようなギャンブラーになりました。競輪場に朝から行って10レースまでずっと見ているだけ1レースも買わない日もある。じゃあ行く意味ないじゃないかとはならない。じっと観察して学びを得るのです。車券を買っていないことでレースが冷静に見ることができる。9人が走るなら9通りのレース展開があります。7着の人間には7着としての反省も学びもあります。勝った選手だけ見ていてはだめなのです。それを続けていくと仮に自分が買ったレースでもまるで買っていないレースかのように客観的に見ることができるように訓練ができてきます。買う買わないはわたしの都合でレース展開には関係ないのです。(もちろん選手としてオッズという人気を背負う影響はありますが)レースだけでなくそこで知り合った友人とか一緒に行く人間とかもよく観察するようになりました。どうやって負けるかを観察し理由を探るのです。競輪場にはいろんな人間から来ていますから観察していて飽きることはない。わたしは人間観察を極めようとしました。それが勝者へのステップだと信じたから。それは全く正しいどころか人生の要諦でもあったのです。車券は当てたい当てたいじゃ当たらないのです。期待通りに選手は走りません。展開を当てようなんて思っちゃいけないのです。かと言って展開を読まないわけじゃない。自分の持ちパターンにハマりそうな時だけ勝負するのです。でも持ちパターン通りにはなりませんが、なるときもある。その時当てれば十分のように買い目を絞る。言うなら資金管理です。わたしは後年これを株式投資でそのままやることになります。
わたしは競輪で給料と同じくらい稼げるようになりました。今にして思えば大した金額じゃなかったけど、安い給料が倍ですから若い私にとっては大変なことです。ただ勝ちを積み重ねて行けば行くほどあることに気づきました。それは競輪を真面目にやればやるほど仕事をしているのとかわらなくなるってことです。確かに勝ってはいますけど、いくらサボリーマンと言ってもそれなりには働いています。実はけっこう優秀な営業マンだったんです。その仕事を終えて夜に競輪新聞の印刷所に行って、関西の全競輪場の新聞を買い込み、朝までかかって検討して、そして競輪場に行く行かないを決める。行っても買わない日もある。仕事との調整もだんだんきつくなってきた。これだったら仕事を終えてから朝まで牛丼の吉野家でアルバイトしているほうがましじゃないかと思えるくらい。またレースそのものも変化していくことがわかりました。いつも同じじゃいけないのです。その時々に流行りもある。だから競輪で勝ち続けようと思えば修行僧のような努力をやめるわけにはいかないのです。それだけやってどれだけ稼げるか?その保証もない。自分一人が食っていく分にはなんとかなるかもしれないけど、到底家族を養い家を建てるのは無理だと思いました。ギャンブラーでは人並みの幸せは達成できそうにない。ちなみにわたしに衝撃を与えた三原某氏は競輪で子供ふたりを大学まで行かせて自宅も買ったそうです。凄い人だったんだと思いますが、ただ時代が違うというのがあったと思います。レースの質も選手の気質も全然違っていた。仕組まれたレースなんてのも多かった。八百長じゃないけど今日はどうぞ勝ってくださいってことがあったのです。ある競輪場じゃ誘導員がよく先行していた。普通は誘導員というのはレースをつくるためにいて勝負どころで退避するんですが、退避しないで目一杯逃げるから、後ろの地元選手が2段駆けで勝つ。インチキみたいなレース展開だけどそれも含めての読みだったという時代だったのです。たぶんですが今は車券師はいないんじゃないかな? なんにせよこのまま競輪を続けても自由人にはなれそうにない。そうと見限った時、わたしはすでに30歳を超えていました。
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