「私の自由人への道 1」 ご主人様とお気楽サボリーマン
2023年07月28日

それで入って何年か働いたら実は同族会社だということがわかってきた。わかったというか、わたしが入社した時は創業者が社長だったんだけど、その後息子が入ってきて、すぐに役員になったんです。わたしよりは年上だけどせいぜい課長くらいの歳で入社してきてすぐに取締役。将来の社長です。(実際社長になった)「あーこういう会社なんだ」って思いましたね。つまりご主人様がいる会社。それでいろいろ聞いていると縁故入社も多くて情実人事も多い。実力主義なんてありえない。なぜなら売り上げが伸びない構造の企業だったのです。ただ存続能力はやたら高い。(今でも存続しています)だから上に気に入られた人間と縁故の身内が出世する。これはいかんと思いました。わたしはおせじおべっかが下手だし嫌いなんです。それに自分が必死に働けば働くほどご主人様を太らせるだけ。出世するのはご主人さまを喜ばせる人間。まあそれほど単純でもないけどおおまかに言えばそんな会社でした。じゃあ毎日働いていて面白くないのかと言うと、実はこれが案外楽しいのです。とにかく社員みんなよくサボる会社でした。わたしは大阪支店に配属されたんですが、朝礼が終わると「行ってきまーす」とか行って外出する。それで喫茶店に行ってモーニング食べながらゲームです。ドンキーコングとかやってた。そんで午後になるとちょっとどこかいくかと得意先を何軒か回ってそれで会社に帰って1日終わり、なんてのも多かった。
ある意味消極的反乱というか抵抗だったんだと思います。しょせん奴隷なんだから擦り切れずに楽しくやろうぜってなもんです。それでも仕事をしないわけじゃないです。働く時は働いた。むしろ仕事を楽しみながらやっていました。成績のためというより営業そのものの本質を極めるという職人的なこだわりもあった。わたしは大阪風の商売を徹底的に叩き込まれました。本音で迫る商売です。これがその後転職した先で大いに生かされるわけで世の中無駄なものはないなって今となって思います。わたしは元気があるからと、新商品担当、新規市場開拓担当になった。これもまたのちに転職先で活かせた。ということでこの最初に入った会社はいろんな意味でわたしに学びと経験を与えてくれました。さてわたしはこんな会社で楽しくやりながらもサボリーマンでは終わりたくないなって思いました。だってそれじゃ豊かな暮らしができない。かと言ってゴマスリマンになる気もない。そこでわたしは何を考えたか? わたしは自分なりに活路を見い出しました。それはプロギャンブラーへの道です。<続く>
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