「私の自由人への道 1」 ご主人様とお気楽サボリーマン

2023年07月28日
0
私の自由人への道
スクリーンショット 2023-07-15 20.43.59

自分はたぶん「できそこないの奴隷」なんだと最初に自覚したのは社会人になって数年後だったでしょうか、自分の「ご主人様」を拝見した時でした。ご主人様あっての奴隷社会ですから。入社した会社はいわゆる典型的な年功序列の日本企業という感じの会社でした。実はどんな会社かよくわからずに仕方なく入ったのです。わたしが就職した昭和58年というのは凄い就職氷河期だった。それでも希望の専門商社から内定を貰った。それで安心していたらなんとその会社から内定ドタキャンを喰らったのです。相変わらず波乱万丈です。急速な業績悪化で新規採用を見送るという理由。そんなのあるんかという感じですが、あったんです。それで急遽大学の就職課に相談に行ったら、今でも覚えています、西さんという名物課長さんがいて、なんで名物かよく知らんけど、その西さんがここに行きなさいと紹介してくれた会社、安心して働ける良い会社だと言われました。そこに行ったら知能検査みたいなテストを受けさせられてその結果がすごくよくてとんとん拍子に面接が進んで、それで役員面接で、今でも覚えています。なんか今後の経済動向についてどう思うかって聞かれたんです。それでなんか喋り出したけど、途中で「ダメです。実はわたしは何もわかっていません。」って言ったら役員みんなが大笑いしてそれで採用が決まった。他に選択肢はない。とにかく会社に入らないことには社会生活が始まらないので入った会社でした。

それで入って何年か働いたら実は同族会社だということがわかってきた。わかったというか、わたしが入社した時は創業者が社長だったんだけど、その後息子が入ってきて、すぐに役員になったんです。わたしよりは年上だけどせいぜい課長くらいの歳で入社してきてすぐに取締役。将来の社長です。(実際社長になった)「あーこういう会社なんだ」って思いましたね。つまりご主人様がいる会社。それでいろいろ聞いていると縁故入社も多くて情実人事も多い。実力主義なんてありえない。なぜなら売り上げが伸びない構造の企業だったのです。ただ存続能力はやたら高い。(今でも存続しています)だから上に気に入られた人間と縁故の身内が出世する。これはいかんと思いました。わたしはおせじおべっかが下手だし嫌いなんです。それに自分が必死に働けば働くほどご主人様を太らせるだけ。出世するのはご主人さまを喜ばせる人間。まあそれほど単純でもないけどおおまかに言えばそんな会社でした。じゃあ毎日働いていて面白くないのかと言うと、実はこれが案外楽しいのです。とにかく社員みんなよくサボる会社でした。わたしは大阪支店に配属されたんですが、朝礼が終わると「行ってきまーす」とか行って外出する。それで喫茶店に行ってモーニング食べながらゲームです。ドンキーコングとかやってた。そんで午後になるとちょっとどこかいくかと得意先を何軒か回ってそれで会社に帰って1日終わり、なんてのも多かった。

ある意味消極的反乱というか抵抗だったんだと思います。しょせん奴隷なんだから擦り切れずに楽しくやろうぜってなもんです。それでも仕事をしないわけじゃないです。働く時は働いた。むしろ仕事を楽しみながらやっていました。成績のためというより営業そのものの本質を極めるという職人的なこだわりもあった。わたしは大阪風の商売を徹底的に叩き込まれました。本音で迫る商売です。これがその後転職した先で大いに生かされるわけで世の中無駄なものはないなって今となって思います。わたしは元気があるからと、新商品担当、新規市場開拓担当になった。これもまたのちに転職先で活かせた。ということでこの最初に入った会社はいろんな意味でわたしに学びと経験を与えてくれました。さてわたしはこんな会社で楽しくやりながらもサボリーマンでは終わりたくないなって思いました。だってそれじゃ豊かな暮らしができない。かと言ってゴマスリマンになる気もない。そこでわたしは何を考えたか? わたしは自分なりに活路を見い出しました。それはプロギャンブラーへの道です。<続く>
関連記事

Comments 0

There are no comments yet.

コメント投稿

更新順
同カテゴリ