奴隷という言葉に嫌悪感を持つ人はたぶん多いと思いますけど、おそらく劣悪な扱いを受けたアメリカ黒人奴隷をイメージしていると思います。あれは歴史で言えば最近の話で、そもそもの奴隷制度の成り立ちと言える古代ローマの奴隷制度というのを高校の世界史で学んだときに「奴隷というのは労働者のこと」なんだと感じたのを今でも覚えています。ローマ市民一人に対して3−4人の奴隷という比率だったらしい。つまり大衆というのは奴隷のわけです。ローマ時代は会計士、官僚、教師、医師、こんな知的労働者でも「働く人」はみんな奴隷です。ローマ市民は働かない。ボランティアはするけど。奴隷には個人財産の所有は認められていなかったけど、実際は主人が認めていた。結婚もした。現代では借金をして家を買ったり車を買ったりするのが当たり前になっています。一見自分が所有者のように見えますが、大人しく毎月払うものを払っているから自分が所有者だと言えるけど、試しに支払いを数ヶ月でも止めればたちどころに取り上げられます。何十年も働いて住宅ローンを返し終えて初めて本当の自分のものになる。40年とかそれ以上働くと頼りない年金で一応は労働の義務からも解放される。解放奴隷です。初めて自由人になれる。これってローマ時代の奴隷の方がまだましかもしれない。ローマの奴隷は長くても20年くらいで解放されたそうです。奴隷というのは主人のいいなりですが、そのいいなりのあり方は今のサラリーマンとどれだけ違っていたかはよくわかりませんが、現代のサラリーマンてかなり上のいいなりですよね。それとローマ時代の奴隷の管理者は奴隷だったんです。奴隷が奴隷のいいなりだったんです。今で言うと部長ー課長ー係長、みんな奴隷ってことです。似てません?もちろん奴隷と言ってもさまざまです。過酷な労働環境で働く人たちもいたでしょう。でもそれって今でも同じじゃないですか? 結局奴隷と市民である自由人とどこで線を引くかだけの話なんです。それで現代社会ではホワイトカラーとか言ってあたかも自分は自由市民のように思わせながら、ローマ時代の奴隷制度とさほど違わない社会運営がなされているのではないか? この思考がわたしが自由人を目指した出発点でした。誰かの意思で動くのではなく自分の意思で動く。では現代社会において具体的にどういう存在が自由人と言えるのでしょう?長い長い話をしましょう。<続く>
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