競走馬はいいとしても上げ馬神事はね

2023年05月30日
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日々の雑感ーリタイアライフ

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競走馬がレース後に急性心不全で死んでしまって、それを動物虐待だって批判する人もいて、それにまた反駁する競馬ファンとかもいるようです。わたしは競走馬の厩務員をアルバイトでしばらくしていたこともあるけど、レースに勝つためには限界まで追い込むので馬がストレス受けていることは間違いないです。気持ちが張り詰めていて怖いです。体もきついはずです。その点乗馬クラブにいる馬とは全然違います。馬をムチで打つのも虐待だっていう人もいて、競馬ファンでムチで打たれても馬は痛くないなんていう人いますけど、見せムチと言って見せるだけで馬は走るんです。打たれたくないから。痛くないわけがない。ただどの程度かって話です。鈍い馬もいるし過敏な馬もいます。結局人間の立場でものを言ってるんです。馬に対する愛情ってのは競馬関係者は持っていると思いますけど、人間が人間に持つ愛情とかあるいは犬とか猫に持つ愛情とは違います。競走馬はペットじゃないのです。商売道具なんです。

那須では酪農が盛んで酪農家がラジオにでてきて話してるのを聞いたことがあるんですけど、牛とか豚とか、酪農家はすごく愛情を注いで育てるんです。でも食肉だからばっさり殺すんです。殺すからこそ命に感謝して愛情を注ぐとも言える。それで人間が暮らしていける。世の中で必要な仕事なんです。競走馬に対する愛情も無理をさせるからこそ愛情を注いで大事に育てるって部分はあると思います。馬のおかげで人間が暮らしていけるんだから。競馬は動物虐待だから廃止せよという人がいても廃止にならない。そう思ってない人のほうがずっと多いからです。でも上げ馬神事てのはどうでしょうか? もしも国民投票をしたら大多数の人が廃止に投票するんじゃないでしょうか? それくらい酷い。もしもそうならやっている連中を批判するんじゃなくて条例か法律で禁止すればいいわけです。続けたくても違法にしてしまえばできない。それが社会のコンセンサスだから。700年の伝統って言いますけど、大昔に王様が死ぬとたくさんの人間を一緒に殺して墓に入れていた。長いこと続いた。でも今はやらないですよね。殺人で犯罪だからできない。伝統なんて言ったところで消えていく伝統の方がずっと多いのです。世の中に合わなくなれば消えざるを得ない。わたしは上げ馬神事は形を変えるか廃止すべく議会で規制を決めるべきだと思います。やってる連中を説得するなんてのはまず無理でしょう。自分たちこそ馬を愛していると思ってるでしょうし。



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