株式投資に限らずですが、わたしの物事の考え方「演繹と帰納」

2023年05月23日
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株式投資
高校の倫理の授業で触れられた「演繹と帰納」(エンエキトキノウ)はわたしの物事の考え方に影響を与えていると思っています。習ってなるほどそうしようと思ったわけはないのですが記憶には残り、その後社会に出て知らずに知らずに「演繹と帰納」を組み合わせて物事を考えていると自分で気づいたのです。哲学のことは知りません用法が正しいかもわかりませんが、わたしなりに物事を考えるときに、上流から下流に向かって考える思考法と、下流から上流に向かって考えると思考法と、両者を常に整合させて思考をしている。例を書いてみましょう。「自社株買いは株主にとってプラスか?」 という命題があるとします。自社株買いをすると確かに株価は上昇することが多い。一株あたりに利益も、ひょっとして配当も増える。こういう事実を積み上げてそこから「自社株買いは株主にとってプラスである」という結論に至るのが帰納法です。ところがその一方でまったく逆に上流から考えることもできる。「そもそも株式市場は株式会社にとって資金調達の道具として機能すべきものである」とか「企業は株主から預かった資金を事業で十分に活用してこそ株主の期待に応えることになる」コンセンサスを得た大前提といえるものです。

「その大前提から見ると自社株買いは株主から預かった資金を逆に市場に返していることになるし、株主資金を事業で有効に活用しているとは言えない、だから自社株買いは会社にとってプラスとは言えないのではないか」こうやって原理原則から遡って現象を捉えるのが演繹です。帰納法だけではデータや事例が足りなかったりあるいは時間軸を変えると別の帰納が機能するかもしれないしまた演繹についても不整合な事例やデータが見られる以上、大前提の当てはめ方に齟齬がある可能性もあります。こう考えて演繹と帰納を整合させながら思考を深めるわけです。そこでまた仮説を立てる「自社株買いは短期的な株価上昇をもたらす側面が強く短期売買をするトレーダーにはプラスだが、長期的な発展に賭ける投資家にとってはプラスとは言えない。」という仮説です。また「すでに成長性はないが安定して利益がでる会社であるなら、自社株買いは長期でも短期でもプラスになりうる」という仮説もたてられそうです。この仮説を事実を集め帰納によって検証しながらそれが大前提と見極められるなら、またそこから演繹を始めることもできる。わたしはいろんな問題についてこんな感じで考えています。
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