賢いだけではこうはならない、その3
2023年04月18日

小学6年になるくらいにはもう施設では誰からも苛められなくなりました。相手が中学生でもわたしが手玉に取る感じで上手にトラブルを避けるようになります。体も大きくなった。だからと言って人をいじめる気はさらさらないです。そんな登場人物、つまり自分を見たくありません。さてそんなわたしが中学生になり清水に戻った。親父が再婚してしげちゃんがやってきた。ど汚い市営アパートでした。どんな中学生か一言で言うと態度が穏やかな割には教員に対して極めて不従順で教わろうという態度がまったくない。わたしは教科書って好きだったんです。配られると全部読んじゃう。それで読んだらもう授業は聞かない。ほとんどの授業中机の上に国語辞典を置いておいても怒られることなかった。だからずっと国語辞典読んでました。あれは繰り返し読んでもおもしろかった。
まあふざけた態度でしたけどそれで中学だったらクラスで1番か2番にはなれたんです。何度か先生から言われました。何を考えているのかわからない子どもだって。今まで見たこともない子どもだと言われたこともあります。高校の話は何度か書いてます。進学校でしたがだいたい同じです。とにかく勉強しないのです。家に金が無いので塾とか予備校も行きません。麻雀とか賭け事ばっかりやってました。パチンコ屋とかも行ってました。貸本で麻雀の漫画ばっかり読んでました。授業中ね。それでも高校3年になったら少し勉強しようという気になった。でも授業を聞く気はない。それでどうしたかと言うとやはり本を読んでました。麻雀本の代わりに参考書と教科書を読みました。日本史とか世界史は好きだったんで図書館で世界の歴史とか読んでました。テストにでないことばかり詳しくなった。それでも成績はポーンと上がったんです。まあもともと何もしてないからちょっと勉強すれば上がるに決まっています。
それで大学受験について親父が国立1校だけ受けさせてやるって言うのです。理由はよく覚えてないけど金の問題だったと思います。みんなは国立1期と2期とそれから私立数校受けてました。当時は地方では国立が当たり前。わたしは1校だけと言われて、先生から模試の結果でここなら大丈夫だろうって北の方の一期校を受けた。でも受からなかった。結局その後二年間東京で何ていうんだ?その日暮らしをしたわけです。なんだか思い出話になりましたがこんな子どもだったってことです。ちなみに社会に出るとわたしは少し変わりました。素直に人のアドバイスを受け入れる部分と自分でこうと決めたら言うこと聞かない部分と両面を持つようになりました。幼少期は素直なボンボンだったんでようやく本来の面も出てきたってことかもしれませんが、素晴らしい人達との出会いがあったからだと思います。今でもお付き合いが続いています。 ひとまず終わり。
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