賢いだけではこうはならない
2023年04月15日
私自身は賢い子どもだったとは思います。わたしが小学生の頃は学校で知能検査みたいなものをやってました。簡易的な検査だとそれは自分が児童養護施設の職員になってから知りました。その検査ではわたしは問題を全部解いて時間を余らせていたのです。つまりちゃんと測れない。その後児童相談所で専門職による精密な知能検査を受けることになりますが、そこでわたしは記録的な数字をだしたそうです。大人たちがわたしのことを話してる様子でわかりましたし、他の子は一回だけなのにわたしは知能検査を3回くらい受けさせられたのです。マンツーマンで1時間くらいかかるのです。その後自分の数字は耳に入りました。その知能検査ではちまたで言われるような高い数字は滅多にでないようです。普通の家の子どもは受ける機会はまずないと思います。ただそれだけではただの頭が良い子というだけでそこらにいくらでもいる賢い子の一人だったと思います。わたしの児童養護施設での暮らしぶりは何度も書いてきていますが、結局施設では誰ともなかよくなりませんでした。むしろホームの子たちから総がかりでいじめられました。とにかく苛められた。具体的には殴る蹴るは当たり前。
野球の練習と称して小学低学年のわたしをキャッチャーにさせて中学生が交代でわたしに硬球ボールを殺してもいいくらいの気持ちで投げつけてくるのです。逃げることは許されません。本当に怖かったですが、傑作なことにそのゲームはほどなく終わりました。わたしがあっという間に上手くなってなんでも捕るようになったからです。人間命懸けでやればなんでもできるという英才教育でした。そこまで苛められた理由ですが、わたしが来る前は施設では通信簿に3があると褒められたのです。ところがわたしはオール5、これを施設の先生も今ほど個人情報に気遣いないので他の子に平気で喋ってみんなの前で褒めたのです。もともとボンボンで他の子とは雰囲気もちがっていた。それでいじめが始まったというわけです。そういうことでわたしは施設ではずっと本を読んでいました。図書館で借りてきて端から読みました。絵本じゃないです。中学生が読むような小説とか文学作品とか、好きなのは世界の伝説とかでした。月に20冊は読んでいました。一回で5冊借りられて毎週借りてましたから。もともと賢い小学生が激しいイジメを受けながら毎月20冊本を読む。それを数年続けると不思議な能力が身についたのです。続く
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