大学に行けるなら行ったほうが良いとは思いますが、、、

2023年03月15日
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人生の考え方
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映画は英語の勉強にいいんじゃないかなって思いますが
たぶん日本の受験じゃ違うんでしょうね

自分は高校生の頃、受験勉強よろしくテスト勉強に勤しむなんて、知識を詰め込んでいるだけでやる意味ないと思ってました。わたしは同級生に言ったことがあります。「テストって教科書持ち込んでよければいい点取れるだろう。それを手ぶらでやらせてどっちが上だ下だなんて、たいして意味ないだろう。」って。だって差は教科書とか参考書持っているかいないかじゃないですか?(数学と現代国語は違いますが) 友達はみんな笑ってましたが、実際今の世の中ではスマホで情報収集すればいいって時代になりました。それと人が決めた道を疑うことなく直走る主体性のなさが気に食わなくて大人に尻尾を振っているように見えました。そういう自分ですから全くと言っていいほどテスト勉強しなかったです。じゃあ何をしていたかと言うと本を読んでいました。知らないことを知るってのは大好きでした。日本史の勉強はしなかったけど歴史小説とか岩波文庫とか図書館で借りてよく読んでました。そうしますと全くテストにでないわけでもありません。大阪夏の陣と冬の陣とどっちが後先かはわかります。ただ効率は悪いです。茶臼山とか真田丸がどこにあったかなんてテストにでませんから。でも面白い話もありました。吉川英治作の中国の歴史書を読んでいたら漢文の詩が紹介されていてそれがそのまま漢文のテストに出たんです。それで吉川英治の言う通りに答えを書いたら0点なんです。わたしはその本を持って行って先生に抗議しました。

そしたらその先生はしばらくその本を見ていてそれで言いました。「今回は点をあげよう。」でも「川口くんのような考え方だと良い大学には入れないよ」とも言われました。どうも吉川氏は日本語訳の質感を優先して文法的な面を重要視しなかったようですが、受験ではそんな抗議は受け付けないということでした。(吉川氏でいいんじゃない?)でもその後確かに先生の言う通りになりました。高校を出て遊び呆けてその後家出状態になって学力は落ちる一方。それでも社会の仕組みが少しづつわかってくると大学には行った方が良いとは思いました。学歴で職業が違ってきて大卒でないと進めない道があるとわかったからです。で結局入れる大学に入ろうってことで受験しましたが結局受けた中で一番偏差値の低い大学しか受かりませんでした。テストってのはあまり好きじゃなくてパワーがでないなって気がしたものです。でもこの歳になって、その大学で人生損したなとかそういうことはまったく感じないです。学歴がわたしに与えた影響はありますが、わたしにとってはたぶん大学ならどこでもよかったなって思います。確かに学歴で成り立っている社会もあることを今は知っていますが、その世界に行った同級生を見てもわたしよりハッピーそうな人間てそんなに見ませんしたぶんわたしには合わないでしょう。
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Comments 3

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金田勘十郎  

ハルトモ様のように、頭脳明晰で、覇気が漲る方であれば、どんな大学を卒業されても、立派な成果を出せると思います。
しかしながら、(私を含め、恐らく大多数の者にとっては)世間の人が「良し」とされるものに頼り、そのブランドと言うか、「名」で社会に出ていくことで、様々な機会に恵まれることも確か。
そのようにして経験を重ねる中で、ハルトモ様のように考え、行動することを、わずかでも真似ができれば、人生が実り多いものになるのではないか、と考え、毎日拝読させて頂いております。

2023/03/15 (Wed) 22:12
川口晴朋(ハルトモ)

川口晴朋(ハルトモ)  

Re: タイトルなし

たぶんその頼るってのがよくないように思います。わたしはそう思うというだけのことですが。

2023/03/16 (Thu) 09:44

金田勘十郎  

To 川口晴朋(ハルトモ)さん

ハルトモ様の記事を拝読して痛感しましたのは、「自分の頭で考え、行動し、その結果を受け止めることが大切だ」、ということです。
成功してもしなくても、得られた結果を踏まえ、さらに次の行動につなげていく。そして、その積み重ねをもって、己の「納得」を得られるよう模索を続けることが大切だ、と感じました。
私は、年を取り過ぎて、もう何をやってもうまくいかないかもしれませんが、だからといって、何もしないのは、最悪、と考えました。
「頼るってのがよくない」という御指摘は、「自分の頭で考えることを放棄する」から、よろしくない、ということだと思います。それは、自分以外の何かに依存していく、自分の未来を自分以外の何かに預けてしまう、これでは、主体性も何もあったものではなく、己の中に何の蓄積も残らない、ということになってしまうと、思うのです。

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