映画は英語の勉強にいいんじゃないかなって思いますが
たぶん日本の受験じゃ違うんでしょうね
自分は高校生の頃、受験勉強よろしくテスト勉強に勤しむなんて、知識を詰め込んでいるだけでやる意味ないと思ってました。わたしは同級生に言ったことがあります。「テストって教科書持ち込んでよければいい点取れるだろう。それを手ぶらでやらせてどっちが上だ下だなんて、たいして意味ないだろう。」って。だって差は教科書とか参考書持っているかいないかじゃないですか?(数学と現代国語は違いますが) 友達はみんな笑ってましたが、実際今の世の中ではスマホで情報収集すればいいって時代になりました。それと人が決めた道を疑うことなく直走る主体性のなさが気に食わなくて大人に尻尾を振っているように見えました。そういう自分ですから全くと言っていいほどテスト勉強しなかったです。じゃあ何をしていたかと言うと本を読んでいました。知らないことを知るってのは大好きでした。日本史の勉強はしなかったけど歴史小説とか岩波文庫とか図書館で借りてよく読んでました。そうしますと全くテストにでないわけでもありません。大阪夏の陣と冬の陣とどっちが後先かはわかります。ただ効率は悪いです。茶臼山とか真田丸がどこにあったかなんてテストにでませんから。でも面白い話もありました。吉川英治作の中国の歴史書を読んでいたら漢文の詩が紹介されていてそれがそのまま漢文のテストに出たんです。それで吉川英治の言う通りに答えを書いたら0点なんです。わたしはその本を持って行って先生に抗議しました。
そしたらその先生はしばらくその本を見ていてそれで言いました。「今回は点をあげよう。」でも「川口くんのような考え方だと良い大学には入れないよ」とも言われました。どうも吉川氏は日本語訳の質感を優先して文法的な面を重要視しなかったようですが、受験ではそんな抗議は受け付けないということでした。(吉川氏でいいんじゃない?)でもその後確かに先生の言う通りになりました。高校を出て遊び呆けてその後家出状態になって学力は落ちる一方。それでも社会の仕組みが少しづつわかってくると大学には行った方が良いとは思いました。学歴で職業が違ってきて大卒でないと進めない道があるとわかったからです。で結局入れる大学に入ろうってことで受験しましたが結局受けた中で一番偏差値の低い大学しか受かりませんでした。テストってのはあまり好きじゃなくてパワーがでないなって気がしたものです。でもこの歳になって、その大学で人生損したなとかそういうことはまったく感じないです。学歴がわたしに与えた影響はありますが、わたしにとってはたぶん大学ならどこでもよかったなって思います。確かに学歴で成り立っている社会もあることを今は知っていますが、その世界に行った同級生を見てもわたしよりハッピーそうな人間てそんなに見ませんしたぶんわたしには合わないでしょう。
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