3月11日がわたしに残したもの
2023年03月11日

伯母も看取り実母はいったん気仙沼に戻り、それでもまだ養母のシゲちゃんの面倒を見ていましたが、そのタイミングで長年勤めた会社を自己都合退職して、児童養護施設に身を転じました。わたしも児童養護施設に出身ですので古巣に戻った気分でもありましたが、この決断にやはり3.11は影響があったと思います。高給もキャリアも同時に捨てたわけですが、それよりも大切なことがあると頭でなく体でわかった3.11以降の3年間だったと思います。わたしの場合は身内二人が生きていたのは幸いでした。身内を無くした多くの人たちは帰らぬ大切な人たちをただただ想う311でしょう。安易にかける言葉もありません。多くの犠牲者の方々の冥福を心よりお祈りしたいと思います。
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