3月11日がわたしに残したもの

2023年03月11日
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人生の考え方
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12年前の3月11日はさいたまの自宅が完成して引っ越しをしていました。電線が縄跳びのように揺れたのを今でも覚えています。その3日後の3月14日に単身愛車トゥーランを駆って気仙沼に乗り込みました。あちこち道路が崩れていましたが最後山を越えて入りました。民間人で気仙沼までやって来たのは初めてだと驚かれました。そこで数十年ぶりに実母とその姉を救出して埼玉まで戻りました。丸2日寝なかったです。その後は被災者家族という立場で実母と伯母の面倒を見たわけですが、その過程で何度か被災地にも行きましたし、応援してくれる方々との交流もあって、自分の人生観に影響はあったのかなと思います。

伯母も看取り実母はいったん気仙沼に戻り、それでもまだ養母のシゲちゃんの面倒を見ていましたが、そのタイミングで長年勤めた会社を自己都合退職して、児童養護施設に身を転じました。わたしも児童養護施設に出身ですので古巣に戻った気分でもありましたが、この決断にやはり3.11は影響があったと思います。高給もキャリアも同時に捨てたわけですが、それよりも大切なことがあると頭でなく体でわかった3.11以降の3年間だったと思います。わたしの場合は身内二人が生きていたのは幸いでした。身内を無くした多くの人たちは帰らぬ大切な人たちをただただ想う311でしょう。安易にかける言葉もありません。多くの犠牲者の方々の冥福を心よりお祈りしたいと思います。
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