人を批判するのは悪いことだという迷信

2023年02月11日
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人生の考え方
本田宗一郎さんが生前失敗の探究を攻撃と取られて困ると言っていました。ホンダの研究所のロビーで宗一郎さんコーナーがあって肉声の録音が流れていたんです。「何かおかしなことをする。失敗をする。どうしてそうやって考えたのか、何が間違っていたのか、それを探究しようと根掘り葉掘り聞いていくと、終いにごめんなさいという言葉になって、周りもあんなに謝ってんだから許してやりゃーいいのにって雰囲気になる。そうじゃねえんだ。こっちは原因を知りたいだけで個人を責めているわけじゃないんだ。」そんな意味の発言です。数えきれないくらい聞いて自分も仕事で生かしたら、確かに攻撃されたと思われました。会社に人を批判するのを悪いことだと、理由もなく思い込んでいる人もいました。批判と攻撃の違いがわからない人でした。

SNSとかブログってのは自分の意見を広く発信できるツールのわけです。ですから発信する自由と同時に責任も生じるのは当然です。気に食わないなら読むなと開き直る人は多いですが、広く発信してその言い方はありません。誰にも聞こえる様に大声で演説してんだから異論反論も受け止める責任があるのです。特に金銭のかかる投資の話は尚更でしょう。ところが発言を批判されると悪口を言われたとか自分が攻撃されたと思う日本人がとても多いです。日本は批評家精神というものが育っていないのです。だから行動や発言を批判されると自分が否定されたと考える。逆に異論があるのにそれを言う時に個人攻撃を混ぜてしまう人も多い。つまり批判と攻撃がごちゃ混ぜなんです。あるブロガーさんが負け組という言葉を使っていました。わたしもよく使います。株は負けている人が多くて、そういう人はよく群れるもんだから負けー組なんです。

ところがそれを聞いて人をバカにしていると感じる人もいる。そこには人生の負け組とかイメージを乗せて自分自身が否定されたと勝手に感じる心のメカニズムがある。株で負けてるから株の負け組って言われただけなのに、自分で誇張してしまうわけです。これは例え話の受け取り方にもでます。文章を書く時になにかに例えるというのは多いわけです。あるいは誰か何かを引き合いに出す。そこには例える意図というのがあるわけですが、人によっては聞く時に勝手に発言者の意図と違う受け取り方をする。もちろん誰が聞いてもおかしな例えというのもありますが、言葉狩りのように使われることも多いわけです。

片方は批判している。もう片方は攻撃をしている。大きな差があるのに、それを見てただやり合っているとしか思わない人も多いです。批判と攻撃の見分けがつかない人たちです。わたしも攻撃を受けているある投資ブロガーさんがここでこんな銘柄を買う奴はバカだとある億り人の悪口を言っていた。わたしはリンクまで貼って反論しました。そしたらインチキ野郎とまた攻撃が始まりました。批判には反論で応えればいいのに根拠のない攻撃が来る。それを見てお互い喧嘩しているとしか思わない外野もいるという構図です。今回は本当はすごく長い文章を分割したのでちょっと変な感じにはなりました。わたしを攻撃されることはあっても批判されることはまずないですが本当はツッコミどころあるんです。ここ突っ込まれるかなって思いながら書いています。割とウケを狙う傾向が強いので。たまにはまともな批判を受けたいと思ったりしますね。

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