かつての同僚は社長になっていた
2023年01月22日

一人はバンコックでリゾートライフ兼不動産業(一時帰国中)
一人は韓国で電子部品販社社長
一人は財閥大企業の営業部長
さすがのわたしも見劣りするメンバー

社長ともなるとホテルも一流

かつての韓国の同僚が日本に遊びに来るから会おうということで久々に懐かしい面々で新宿で会食。韓国の同僚はセールスとマーケティングのトップでしたが今はソウルで起業して年商10億円の社長になっています。聞くと取引先にかつての中国のわたしの同僚もいて、同じく起業して社長になっているとのこと。そっちは年商数十億円らしい。ビジネスの話を聞いていると中国も韓国も日本とは起業の環境が違うなって感じました。新しい企業を採用することをためらわない風土がある。日本だと実績とか企業規模とかでふるいにかけられて新参者はなかなか市場参入できない。仮に担当者が採用しようと稟議をあげても、そんな会社大丈夫か?と上から潰されるのが日本。仮に日本でわたしが起業しても10年で年商10億20億なんてBtoBでは到底無理でしょう。日本で起業して成功するのはほぼほぼBtoCです。
会食中皆から言われたのは、わたしはサラリーマンじゃなくて社長のキャラだとのこと。よくサラリーマンでうまくいったなと。会社で活躍する場所に恵まれて、かつタイミングも絶妙でたぶん5年早くても5年遅くてもわたしが活躍する機会は得られなかっただろうと言われました。事業部存亡の危機にわたしが転職で入社して、苦しい会社はわたしに未来をかけたわけです。早いとわたしにお鉢が回ってこない。そして遅いと逆にお鉢がなくなっていた。まさに絶妙な時と場所を得たってことでしょう。本当に幸運な人間だと思います。歴史を紐といても英雄というのは乱世にしか現れない。織田信長だって時と場所を変えればただの変人で終わったんじゃないでしょうか。わたしは英雄ではありませんが、確かに会社ではヒーローでした。まさに時と場所がヒーローを求めていたんだなと今となって思います。
ただ一方で言えるのは、わたしが時と場所を選んだ側面もあるということです。最初に入った純日本的な会社にそのままいたらたぶん一介の中間管理職で終わっただろうし、もしも転職した先が我が意を得ないものならきっとわたしはまた転職していたでしょう。ただそれでうまく行ったかというとたぶんダメだった。なぜならわたしが転職したのはバブル最後の1990年。一年遅いと急速に景気が冷え込んで転職できなかった。そして転職してもそこで合わないと思っても再転職できる状況になかった。わたしが転職したタイミングは絶妙だった。そして入った会社もまさにドンピシャだった。幸運というのは自分からたぐり寄せるというか、幸運の女神とすれ違ったほんの一瞬を捕まえることができるかどうかって思います。自分で動いたからこそのもの。わたしはやることなすこと強運のたまもの。呆れるくらいついています。我ながらこんな人間もいるんだと感心します。
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