人を口汚く罵倒するブログに「いいね」をつけるメンタリティーについて考える

2022年12月04日
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株ネットの事件簿(誹謗中傷対策など)
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スタッドレスへの交換です
タイヤ脱着は自分でやります
安全に留意しつつも頭の中でいろんな発想が湧いてきて
こういう作業をした後にすっと記事が書けます


人の主張に対する批判とか反論ではなく、特定の誰かの人格とか個人の存在そのものを否定するような表現をするブロガーさんというのは昔からいますし今もいます。中には目を覆うような口汚い表現を駆使して勝ち誇るブロガーさんもいます。ただその中身が正しいのかどうかは誰もわからないのに、罵詈雑言が踊る記事に判で押したように「いいね」をつけて賛同の意思表示をする人たちがいます。口汚い悪口に引いてしまう人もいますので決して大多数というわけではありませんが一定数は確実にいるのです。そして不思議なことにその「いいね」をつける人たちのブログを覗いてみると口汚い悪口とはかけ離れた、穏やかで人が良さげな、いかにも善人ブロガーの姿がそこにあるわけです。このコントラストというのはいったいなんだろう? 人間ウォッチャーのわたしとしては興味があるわけです。だって世界の独裁者とか教祖とかがなぜ人を自由自在に操縦できるのか?という命題に繋がるからです。

わたしはいろんなブログを読んだ上で、いいねを押す人間には共通した特徴があることからふたつの仮説を立てています。ちなみにその共通した特徴とは「いいね」を押す人は自分で調べて自分で判断している様子がないということです。つまり悪口ブロガーさんに対するその人の盲目的な賛同があるということです。ではなぜその賛同が「いいね」というかたちで表示されるのか?

<仮説1>
一見穏やかな振る舞いの背後にはその人の持つダークサイドが潜んでいて、自分では書けないような暴力的な表現に実は心中賛同する自分がいる。つまり自分が持つ隠れた凶暴性が悪口ブロガーにシンクロしてその消極的な意思表示として「いいね」を押している。

<仮説2>
自分はすでにその悪口ブロガーさんを信じている。だからそのブロガーさんがどんなに口汚い表現で人を攻撃しようが、それは言われるほうが悪いしそれだけの理由があるはずだ。なぜなら信じるブロガーさんは正しいに決まっているから。つまりすでに信者だということです。

わたしは儀礼的に中身も読まずに「いいね」を押しているという言い訳?は考えにくいと思っています。口汚い表現が踊っているものに毎回「いいね」を押して中身は一行たりとも読んでいないはずはないと思います。ということで仮説1と2のわけですが、これは両方持っている人もいるしどちらかというケースもありそうですが、どうやら2の方が多そうに見える。ただ1そうな人はかなり強固な支持者に見えます。いずれにせよまだ結論は出ていませんが、なんらかの理由があってやっていることです。理由がないってことはない。であればその理由を深掘りしていきたいなってことで実は悪口ブログは中身はほとんど読まないで(読む価値ない)コメント欄とかいいね欄が興味深いってことです。人間ておもしろいです。

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