早朝ゴルフの仕事を終えてから温泉と森林浴でまったりとして映画を2本見ました。ひとつは「KCIA 南山の部長たち」そして「トップガン1」、南山の部長たちはこれは映画というよりほぼドキュメンタリーです。特に後半は生き残った人間の証言をそのまま再現している。こうだったのか!と韓国の歴代大統領に絡む歴史をもう一度勉強しようかと思う映画でした。主人公のキムの本音はわかりづらいけどわたしはポジティブに捉えました。それでもう一本はトップガン、実はトップガン2を4回も見てその後にまだトップガン1を見ようと思ってまだ見ていなかった。見ていえるのはこれはトップガン1じゃない。トップガン3だ!とそう言えるくらい、見事にトップガン2とシンクロしていました。よかった。まったくテレビを見ない一日でした。
はからずもこの2本の映画には共通のテーマがあります。それはまさに「現場で生きる男」です。わたしの人生感にシンクロもします。なぜ現場で生きる男は格好いいのか? それは他人の評価で生きないということです。自分なりに結果を出して、その結果に納得が行くのなら他人が何を言おうが、それはどうでもいいとまでは言わないけど、一番大切なことじゃないってことです。なまじ社会的な栄達を求めたばかりに他人の評価に振り回されるようになる。出世すればするほど幸せってことじゃない。わたしも会社ではまさにキャプテン ハルトモでしたが、そこで終えたからむしろ良かったなあと、妙な得心をこの2本の映画を見て感じ入りました。
格好いいなあと思うままに生きられるって幸せなんでしょうけど、ある程度は俗世の成功もついてこないと負け惜しみに見えちゃう。そこはバランスってとこがあって、マーヴェリックの肩書は大佐、KCIAのキムも軍では大佐(部長)、わたしがいた会社もジョブグレードと言って指揮系統とは別に軍隊みたいな格付けがグローバルであった。わたしでちょうど大佐って感じの位置付けでした。いわゆる管理職では最上位。将軍じゃないけど簡単にはなれない地位だし、トップも一目置くのが大佐。私もマーヴェリックと同じようにかつて言われた。「君は大佐で終わる男ではない。」と。でも結局は大佐を長く務めて自己都合退職。そして児童養護施設に行きました。それで良かったと思ってます。現場に生きる男は「大佐」で十分以上じゃないでしょうか?
- 関連記事
-