どの時期をどう生きれば人生の幸福度満足度に繋がるのか?−3

2022年07月26日
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人生の考え方
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結局この写真はなんだったのかというと
我が家の会食でしたってことです

数年以内の新商品?と言っても雲をつかむような話じゃなくて、会社としてはもともと半導体メーカーなんで車の電子化に合わせて、センサーとかの開発はやっていて実はアメリカでは実績も出てきていました。ところがそれを日本で売るためには一から設計し直さなきゃいけないし、国産の強力なライバル企業もいた、例えばDENSOとか、とてもセンサーでは新参の外資系企業が入り込む余地はない。30年前の自動車部品業界は非常に閉鎖的で自動車メーカーのケイレツ優先のビジネスモデル中心だったのです。ボッシュのようなシステムメーカーは入り込んでいましたが、センサー部品となるとどうしても日本のシステムメーカーや自動車メーカーと緊密にワークしてマッチングしないといけない。でも日本企業にすると外資系はいちいちうるさくて一緒に仕事をしたくないと思われていた。やはり日本社会独特の作法ってものがあるのです。それを日本人は理解できてもアメリカ本社を説得してプロジェクトを進めることがなかなかできない。

会社としてはとにかく新製品を売り込まないといけないけど、何人か会社で担当した人間は目処が立たずに解任されたりで、そこで試しにハルトモにやらせてみるかという話になった。今にして思えばわたしにお鉢が回ってくるくらい難しい課題でよかった。そこからわたしの快進撃が始まったからです。わたしがやったことは今までのどの担当者とも違って業界の慣習とか常識を打ち破ることでした。可愛い子になろうとせず言いなりにならずむしろ外資が外資らしく顧客とわたりあった。戦略もがらりと変えた。会社の中ではわたしのユニークな戦略が良いのか悪いのか誰も判断できないうちにどんどん話が進みわたしに賭けるしかない状況が作られた。わたしの勢いに顧客も会社も振り回されたけど、結果わたしの元で会社は飛躍的な発展を遂げることになる。わたしは牛蒡抜きで昇進していきました。自分の流れを作ってしまったんです。

ただわたしは働き蜂でもないし忠臣でもありませんでした。家族を大切にしてたくさん休み遊び、そして会社では実績を盾にやりたい放題暴走。それがまた当たる当たるの連続。そこでさらに上を目指すなら大人しくなって媚び諂う手はあったけど、そんなことやってもつまらない。そしてそのあたりから株式投資に進出。会社の成功だけで終わる気はなかったのです。いくら出世したところでしょせん仮の姿だし自由人じゃない。それに人生を会社に勤めあがただけで終わる気はない。そこでいろんなことをやったわけです。講談を目指したり、政治活動をしたり、乗馬クラブのインストラクターも考えた。ここから先は経緯をご存じに方も多い。株ついては詳しく書いてある。わたしのモットーは目標を見据えて現状からいけるかいけないか冷静に判断してダメならすみやかに次の手を打つ。動かずに後悔するってことは絶対しない。代わりにやりすぎて混乱することが多いけどなんとか収束はするもんなんです。人間てのはやらずに後悔するもので、やってだめだったら納得がいく生き物じゃないでしょうか? ましてやることなすことうまくいけばこんな痛快なことはないわけです。

わたしの三十代四十代についていろいろ書いてきましたが今のわたしがあるのはその時代のわたしの選択と決断と行動があったことは間違いありません。誰もにそう当てはまるなど言えませんが、少なくともわたしは30歳からの20年間が人生を決めた。でもそれがわかっていたわけじゃない。結果としてそう言えるってだけのこと。きっとその人ごとに自分の人生を決める大切な時期というのはあるんだろうと思います。それがいつからいつまでのどれだけの長さかそれはその時はわからない。じゃあどうすればいいのか、いつだって後悔のないように懸命に生きるしかないのだとわたしは思います。自分の軸を持ち自分の信念から後悔しない道を選ぶ。その場の損得にとらわれない。自分の人生を振り返って、けっこう損と思われる選択もしてます。無茶もしてます。でもその場で自分を抑えて後からブツブツ言うくらいならどう思われてもいいから自分が正しいと思うことを言うしやるってわたしの考えは間違っていなかったんだなと強く思います。後悔さきに立たずなら納得を極めて生きよということです。
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