金と出世と生き甲斐と

2013年12月23日
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株式投資
読者のコメントにお答えする形になると思いますが
人を愛するというのは
まさにそれは生きるということですから
金儲けとか立身出世とかとは
まったく別次元の話で
関係性を考えるものではない
かと言って無視するもんでもない
両立という並立と言うか
そういう域に達すると人生おもしろくなる
わたしなどは
そう思うわけです。
 
簡単に言うと
お金はあっても愛はないより
お金はなくても愛があったほうがいいとか
そういうふうに並べて考えないということです
 
もちろん世の中にはいろんな人がいますよ
出世やお金のために家族を犠牲にする人もいます
また自分を売って媚びへつらう人もたくさんいます
むしろそういうことが好きな人だっている
そうやってやりたければ
やればいいわけです
その人の人生だから好きにすればいい
いずれにせよ、お金と愛が天秤の両方に乗っちゃてるわけだけど
わたしに言わせると
両方を天秤に乗せては駄目です
 
 
わたしにとって一番大切なことは
それは生きるを全うすること
その生きるの中には
愛は間違いなく入ってます
 
でもお金や出世は
これは生きるには入っていないとは言わないが
わたしがよくゲームと言う通り
まあ、どうでもいいことです
比べるようなもんじゃない
 
ゴルフのスコアとあまり変わらない
でもゴルフのスコアは
いいほうが嬉しいし面白いですよね
お金や地位はその程度のもんです。
 
だから
お金や地位のために
自分の生きざまを外すことはないけど
まあ、お金はあったほうがおもしろいから
一応儲けておくか
くらいのもんです
 
自分の生きざまを外さない
というのは
わたしは
嫌なこと、はやらない
と表現しています
 
わたしは仕事でもなんでも本当に嫌なことは絶対やらない
例えば到底尊敬できない人間に対して尊敬するふりをするとか
嫌です
また
家族の看病のために昇進転勤を断ったこともある
では出世やお金はどうでもいい
ってことではなくて
自分の生きると全うしたうえで
存分の知恵と才覚を使って
そのゲームはゲームとして乗り切る
てことです
 
嫌なことやらなくても
場所を選び、戦い方を選べば
お金持ちになれるし、地位もついてくる
そういう方法はあります
 
もちろんあんまり高望みは禁物
高望みというより
主の自分の生きるがきちんと見えていれば
自分がどういう生活をしたいか見えてきます
従であるゲームとしての金儲けは
その程度に稼げば十分ということ
主がしっかりしていれば
従がぐらつくことはないので
必要以上に儲けたいなんて思わない
 
それが従が主になってしまうと
どこまで偉くなっていいのか
どこまで儲ければいいのか
自分でわからなくなっちゃう
それはあかんと
わたしは思いますね
 
嫌なことはやらない
というと好き勝手にわがまま放題に暮らすって
思う人がいるけど
それもちと違う
 
わたしはおそらく
人がやらないこと、できないこと
これを平気平然とやります
例えば決してお世話になったとはいいにくい親でも
一生懸命面倒見る
なぜか
そうするのが好きだからやってるのですよ
別に使命感でも義務感でもない
わたしはそういうことが好きなんです
 
嫌なことはやらずに
好きなことだけやって生きる
自分ではそう思ってます
 
もっと言うと
好きの前に
美意識ってものがあるかもしれない
自分なりに終始一貫美しくいきたいと思っている
それでその美しいものが好きなのです
 
何が美しいと思うか
まさに
それはその人の生き様ってことになるのかと
わたしの生き方が美しいと他人に思ってもらうようなもんじゃない
そもそも人様をどうのこうのというようなもんでもない
わたしだって人の生き様をどうのこうのと言いたくない
せいぜい思うのは
わたしはああいう生き方は嫌だな
とかぐらいだ
 
こういう話は
禅問答のように
なんだかぐるぐる回るんだけど
これは説明しようとするから、こうなるだけで
自分の頭の中では
瞬時に決着がついている話なんで
こういう理屈をこねくり回して
はて
何が正しいか
自分はどう生きるべきか
なんて小難しく考えるようじゃ
それはそれでちとあかんと思います
 
もっと自然体
これは好き
これは嫌
即答です
 
細胞が喜ぶって言葉を
西野師が言われるけど
これはまさに
細胞単位で生きるということですから
細胞は理屈をこねませんね
 
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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