自分の境遇を自覚する

2013年12月22日
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日々の雑感ーリタイアライフ
12月の休みは
忘年会ばかりだった
2日連続で学生時代の旧友と飲んだり
前の前の会社の先輩と飲んだり
前の会社の同僚と飲んだり
前の会社の取引先と飲んだり
ゴルフ仲間と飲んだり
それで
今の仕事の忘年会はない
今の職場はアルコール一切なしである
休みの日に外で食事会をしたことがある
社員旅行のかわりで、豪勢な中華料理
ところがアルコールなしなんである
自腹で払うからと言っても
ご遠慮くださいだ
だったら呼ぶなといいたくなるが
それが当り前の環境なんである
 
わたしの娘は高校生で
それで毎月5千円小遣いを渡している
それに加えて、バイトで月2万円くらいもらっている
 
一方児童養護施設の高校生
一か月6千円小遣いをもらえる
小遣いだけなら施設のほうが多い
それでアルバイトもしてだいたい月2万円稼ぐ
 
どっちも月2万5千円ほど
だいたい同じ手取りである
 
施設の子は
そこから自分の携帯電話代を払わないといけない
だいたい1万円ほどになる
それから
アルバイトをする条件として
将来自立のために、毎月1万円は貯金する
それと自分で個人的に買いたいもの
たとえば音楽プレーヤーとか
それを買うために2-3千円は使わずに置いておく
そうすると
手元に残るのは毎月2-3千円ほどである
学校に行くときは一日500円の昼食代がでるけど
それでなんとか工面して遊んでいるが
すぐになくなる
 
わたしの娘も一日500円食事代をわたしている
それに加えて、バイトと小遣いの
手取りの総額2万5千円
全部遊びで使ってしまう
携帯電話代は親が払うし
貯金もしない
 
ということで
自分で使えるお金は
うちの娘と施設の子では10倍違うのである
いや正確にはもっと違う
 
娘はことあるごとに親戚やおばあちゃんから小遣いをもらっている
 
娘はいつでも好きな時にどこでも行ってしまう
ディズニーランドどころか
この前は富士急ハイランドに友達と行っていた
友人とのお出かけ、外食も多い
 
またミュージカルや宝塚やサーカスが好きで
かみさんとよく出かけているが
もちろんこれも全部親が出す
 
着ている服の値段も全然違う
うちの娘はリーガルの靴だし
コートはラコステだったりするが
 
施設は
イオントップバリューの靴で
コートはしまむら
だったり
 
仮に一緒に遊んでもうまくいくわけないだろう
 
そのふたつの世界を毎日わたしは往復しているわけだが
 
今日本で児童養護施設で暮らす子供は4万人ほどだ
予算は決まっているので
だいたい
上に書いたような生活をしている
 
わたしの娘とはすごい格差かと思えるが
一方
わたしが施設に居た40年前と比べると
今の施設の子供は、ものすごく豊かだ
必要なものは、
値段はやすいとはいえ
なんだかんだと言って
全部買ってもらえる
学校でかかるものは全部OKだ
部活は道具衣装にかなりお金がかかるが
たいていのものは買ってもらえる
 
小遣いだってもらえる
本当に貧乏な家の子供より豊かもしれない
 
だが、それは難しい面もある 
物はあることはあるが
施設のお金で購入する
誰が買ってくれたというものでもない
誰にありがとうと言えばいいかわからない
そのうえで持っているものは
友人と比べると見劣りすることも多い
 
多くの施設の子供は
わたしの娘より、ずっと物を粗末に扱う
物を大切に扱わないので
いろんなものがすぐ壊れる
また施設の公共のものとか
自分の所有物でないと殊更ぞんざいに扱う
壊れてもなんとも思わない
 
買ってもらって、使わせてもらっての感謝の念もないのだ
また施設の金で買えばいいだろうと思っている
 
わたしの娘は親の行動の影響もあろうかと思うが
施設の子供たちより
ずっとものを大切に扱う
また自分の所有物と他人のもので
扱いを極端に変えることもない
そして自分が使うもの
すべて親が買ってくれたものであることを
目の当たりにし
感謝の気持ちを表現するしないは別して
誰に感謝すべきか迷うことはない
 
施設の子たちは自分たちがそれほど貧乏だという意識はない
自分が一歩施設から出れば
どういう身の上かということが
ピンと来ていない
私が施設にいた時のように
無ければないではっきりしていて
不自由な暮らしをしていれば
いかに自分が貧乏な子供であるか
みにつまされるように意識された
 
だから
どうにかしてやろうとわたしは思ったが
 
今の施設の子供は
世間の厳しさというものを
知らずに世の中に出てしまう
高校まで施設に居て
そのあと普通以上に暮らせると思っている
世間に出れば
もう守ってくれる保護者はどこにもおらず
そこで初めて
自分の境遇を思い知る
 
その点は
まこと過酷と言わざるをえない
 
どうせであれば
子供の時に貧乏というものを知ったほうが
案外良いという場合もあるのかもしれないが
それは教えられてわかるようなことではないのだろう
 
今日も2つの家庭は
それぞれに
なにげない日常を繰り広げていく
 
わたしは線路の真ん中に立ってる気分だ
線路の右と左は別世界
そして
その線が交わることも
またないのだ
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Comments 2

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アユ  

No title

中島みゆきの「明日」という詩が好きです。
極言しますが、愛する人と暮らせるなら貧しくてもいいとおもうのです。

2013/12/23 (Mon) 08:27

ハルトモ  

No title

すみません、その歌は存じ上げません。
確かに愛する人と暮らすことが大切かと思います。
豊かでも貧しくてもそれは関係ない、ってわたしは考えます。
お金なんか、愛と天秤にかけるほどの価値あるもんじゃない、それで別に豊かは豊かでそれでいいのです。貧乏でもそれでいいのです。天才バカボンの、それでいいのだ、は名言だと思ってます。

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