わたしでも褒められて嬉しいと感じることもあります
2022年05月31日

また那須です
児童養護施設にいた4年間でわたしはその前の30年以上のサラリーマン生活で感じたことのなかった喜びを子供たちからいただきました。ぼろくそに子どもたちからは言われるもしましたが、その一方でわたしの刺激を受けて変わっていく子どもたちをまた直接見ることができた。わたしが一番嬉しかったある子どもの褒め言葉は「わたしのためにこれほど必死になってくれる人がこの世にいるってことに驚いた。」ってものです。褒めたつもりじゃないでしょうがわたしには褒め言葉でした。もしそうであればこの世の中捨てたもんじゃないってことで人生や社会の見方も変わっていくことでしょう。わたしと出会って良かったってことです。そんな人わずかでもいいから居てくれるなら自分も生きた甲斐がある。
私自身は他人から褒められたいとか認めて欲しいという気持ちは低いほうだと思います。なぜなら子どもの時のように他人の気持ちに翻弄されたくないのです。文句を言えないくらいの実績を出せばいいだろうと考えるようになった。わたしくらいの能力がある人間なら、褒めてもらうのが目的なら褒められるように振る舞えるし書けますから。でもわたしだって褒められたい人はいます。一番は妻です。極端な話妻以外の褒め言葉はいらないくらいです。その上で言うなら、次世代を担う若者ですね。たまに若い読者からメッセージをいただくことがあります。最近もいただきました。このブログは刺激になっているみたいです。別にわたしの真似をして欲しいとかノウハウを伝えたいとか、そんな細かな話はどうでもいいんです。多少なりとも人間としての軸の形成に影響があるのなら、頑張って書いていく励みになるなって思ってます。ご老体の方には申しわけありませんが、でもメリットもあります。一応笑えるでしょう。あるいは不機嫌になる? なんにせよ感情の起伏は刺激として悪いことではないので読んで損はないと思ってくださいませ。
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