誹謗と批判の区別がつきますか?
2022年05月30日

池袋暴走事故被害者への誹謗についての取材
一度見て欲しいです
自身も誹謗中傷を受けたりデマを流されたりしてますけど、それに対して多くの方は無関心です。事情など知ろうともしないで誹謗される方にも問題があると考える人もいる。わたしはある方からコメントで「わたしは中立ですから」って言われて驚いたことがあります。何も味方になって欲しいとも言ってないのに。つまり多くの人にとっては片方が片方を口汚く罵っていても、ただ揉めているとしか思わないのです。それと批判と誹謗の違いについてもこの番組で語られています。わたしは主張に対する批判はあって然るべきだと思います。開かれた場所で自分の意見を言う以上異論を聞きたくないというのは筋が通りません。自分が言っていることだって他者にとっては異論かもしれないわけですから。誹謗中傷について、専門家のご意見を交え深く考察した番組です。取材を受けましたので、ご覧いただけたら嬉しいです。「後先考えず」「ソファにもたれながら」池袋母子死亡事故の遺族を誹謗中傷した加害者が語る“軽さ”と“厄介な正義感” 【SHARE #7】 https://t.co/FqE3LMRebU @YouTubeより— 池袋暴走事故遺族 松永拓也 (@ma_nariko) May 26, 2022
ただ主張への批判をされると攻撃されたという思い込みで感情的な誹謗で返す輩もいる。誹謗者の取り巻きで自分は気軽に同調しただけだから悪くないって思う人もいる。個人を否定しているという自覚がないのです。そして何よりも自分は匿名で安全だと思い込んでいる。これがネットでの誹謗中傷のなくならない理由ですが、だんだんそうも言えなくなっていくと思います。昔は平気で立ちションしたりタバコのポイ捨てって日本人はしていたんです。でも今はやらない。日本人は同調意識が強いから悪いことだと決められたら急にやらなくなるかもしれません。その時に健全な批評家精神までが駆逐されないように願っています。批判は主張への反論異論、誹謗は個人の人格などに対する攻撃です。
この番組で言われている通り、わたしを誹謗する人なんて全部の読者の0.1%もいないのです。17年通算したら1万人に一人くらいの確率です。でもその少数が執拗に攻撃をしてそしてネットでずっと残っていく。取り巻きがそれに同調する。池袋のような事故の被害者だって誹謗中傷をする人間はいるんです。わたしのように言いたい放題書いていれば誹謗されるのは不思議はないのかもしれません。ちなみにわたしへの批判てのは誹謗より少ないです。わたしはこう見えてけっこう文章を作り込んでいるんです。骨のある批判を聞いてみたいものです。それとも、なんだ、批判したくてもできないから誹謗とかすんのかしら?
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