「どちらとも言えない」「難しいですね」と安易に語るのが日本人
2022年05月04日

いつものリゾマンからの景色
今日はベランダでサンセットワインをいただきました
いろんな国と比べても日本人は他者への共感力が低いと思います。ただ共感しているふりをするのが大好きな民なのです。その方が自分が安泰でいられる。これが他社との関わり合いに如実に現れます。日本人は物事がシリアスでない範囲では助け合い協力しあう。ところがクリティカルはフェーズになるととたんに尻込みする。その時に呪文のように唱えられるのは「自分ができることすればいいのです。」でも自分ができることって、気持ち次第でで全然違うわけです。児童養護施設で働いていた時に子供からなんどとなくわたしは言われました。「なんでハルトモさんは、わたしのためにそんなに必死になるの?、そんな人見たことない」たぶんわたしのエネルギーの強さがそう見えたのでしょう。自分はどうにでもなるという自信があれば、人を助けるパワーも全開というわけです。
強くなければ優しくなれない、まさにハードボイルドの世界ですが、わたしの根底にあるのは愛犬ナナの思い出です。両親が離婚して親父に引き取られたけど親父は親父で転落して小学二年生のわたしは愛犬ナナと長屋で暮らしていた。3日に一回くらい親父が帰ってくると、ご飯を炊いてそんで玉ねぎの味噌汁を作る。それをわたしは朝晩とナナと一緒に食べるのです。親よりもわたしにとって大切な存在だったナナ、でもそのナナはわたしが児童相談所に引き取られると同時にわたしの視界から消えました。いくら泣き叫んでも誰もナナがどうなったか?大人は教えてくれません。
今になれば誰でもわかります。ナナは保健所に送られて殺されたのです。わたしが深い「大人」への不信感を抱えた理由です。でも誰もなにも言わない。幼くても多少知恵の回ったわたしは自分なりに結論を出しました。自分のことは自分で守るしかない、そして愛するものも自分がなんとしても守ると。そういう生い立ちを経たわたしからみると、「どちらとも言えない」なんて言える人はきっと良い家庭で幸せに育てられてきた人なんだろうなって思えます。だってわたしの過去を振り返ると。どちらでもよいなんてそんな悠長なこと言ってられない人生だったのですから。
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