上がるか下がるか気を揉むのなんて止めませんかあ

2022年04月12日
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株式投資

保有株の株価の上下に一喜一憂は意味がない。わたしはこれは最初からそう思ってました。毎日毎日取引がある以上、株で為替でも値段は振れるわけです。自分でどうすることもできない。ならどっちだっていいって気分は最初からありました。だって計画通りエントリーした以上売る値段はもう決まっているし、その値段になるまで待つだけなんです。ちょいと小技とかいれて売買もしたけど、それだって上がっても下がってもどっちでもいいって構えなんです。人生でも同じなんですけど、自分で決められないものに対してやきもきするのはストレスです。体にも良くない。

例えば会社の上司や同僚から認められたい、評価されたい。それは自分でアクションを決めて評価されるように行動するだけのことでそこまでは自分で決められる。その結果どうなるかはそれは気にしても仕方ない。間違っていると思うなら自分の行動を変える。人を変えようなんてのは暴挙です。人からどう思われたいか? それは好かれたいなら好かれるように振る舞うのは良いのです。だからとヤキモキする意味はない。試行錯誤して好かれるように自分の行動を変えるだけ。株価の場合は何をしようがどうにもならないですから、気を揉むだけ体に悪いし時間の無駄だと思います。

じゃあ株価なんてまったく見なくてもいいのかってのとも違うのです。塩漬けして見なくなるなんてのは現実逃避。もちろん一喜一憂も意味はない。ただ季節の移ろいを眺めるように、花鳥風月を慈しむように、じっと眺めるんです。海で寄せる波を眺める気分。じっと気持ちを一定に保って静かに見ていることで、あら不思議、ここぞというチャンスが見えるんです。自分の気分が上下しているとそれが見えない。わたしがこうやって書くと多くの読者は何を言っているかわからん、で終わります。自分が理解できないものは価値がないと感じるのは大多数の株弱者のすることですので。まあわたしはそれでいいのです。読者を変えようなんて気はさらさらありませんので。止めませんかあ? と言っているのは、こっちは極楽よって意味なんです。


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