日本人にとっての公序(マナー)とは
2022年04月10日

筍ご飯の季節です
夕食と翌朝の朝食でもいただきました
おこげが美味しいです
日本人というのはこの「本来の目的」の呪縛が非常に強い民族で、例えば電車で座席に荷物を置くのはよくないと考える人がいる。仮にガラガラでもすべきでない、荷物は網棚に置くもの。廊下で雑談をしていると、廊下は話をするところじゃないと怒る人もいる。別に人が通れても通れなくても関係ない。以前ゴルフカートの前側に小さなキャディバッグを掛けていたら、そこはキャディバッグを掛けるところではないと自称古手のメンバーから怒られたことがあります。誰の邪魔にもならないし強度的にも問題ないけど、そんなとこに置くことそのものに腹が立つわけです。
外国人から見ると、自分が迷惑しているわけでもないのに勝手に怒る日本人がとても不思議に見えるわけです。外国ではたいていの場合自分が迷惑だから怒るのです。日本人というのはお上に従順で、教えられた通りにするように躾けられていて、その教え通りにしないという時点でそれは間違っているという呪縛を感じるのです。その一方で日本人は自分で何か決めたり、そして自分で決めたことを守るのが苦手だと思います。たとえ自分で決めたことがあっても、誰か偉い人が決めた何かにでくわすとその方が上位に来ると考えるからです。日本人の「教えられた通りにすることこそ善」という考えを変えるのは、らくだを針の穴を通すより難しい。ただそこには脆さもある。その人が教えられたことよりも高い権威を持ってくるとあっけなく靡くのです。
これが滑稽に見えるくらい日本人というのは簡単に変貌する。わたしはペーペーからごぼう抜きで出世した経験がありますけど、自分が責任者になる前に、嫌と言うほど聞かされたセリフは「そんなこと許されるんですか」まあ他に「わたしは聞いてない」てのもありましたけど、なにかわたしが新しいことを言うたびに「そんなこと許されるんですか?」て言われたものです。それがわたしが意思決定の責任者になると誰もそんなこと言わなくなった。わたしがその許す人になったからです。終戦後に一気に学校の授業が置き換わった時に、あんな偉そうに教えていたのになんだそんなもんかよと、その変わりように呆れたという話をお年寄りから聞いた記憶が蘇ります。まあその程度と民度ということでしょうか。
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