ロシア兵の戦死者数から停戦時期を考えてみると
2022年03月12日
ロシアの死者数は数千人に達しているという報道があります。実際どれくらいになっているんでしょう?3月3日に498人というロシア側の発表がありました。侵攻後一週間で500人。もしもロシアの言う通りでも3月11日では1000人は軽く超えていることになります。ロシアが本当の数字を発表するわけがありませんが、そこで参考になるのはプーチンが指揮した最初の戦争です。チェチェンではいろんな調査では3万人のロシア兵が死んだらしいのですが、ロシア当局が発表した死者数は6000人だそうです。ちなみに民間人はチェンチェンで20万人ほど死んでいる。つまりロシアの発表を5倍にすればだいたい本当の数字と思っていいのかもしれません。だとするとすで数千人という報道も見当違いではないような気がします。
ウクライナという国への侵攻作戦と独立派鎮圧という性格の違い、さらにロシア人から見てのチェチェン人とウクライナ人の親密さの違いを考慮するといくらなんでもチェチェン以上の死者数はさすがにロシア国民としては受け入れにくいような気がします。さすがに無尽蔵には死人を出せない。もしも市街戦になれば1週間で1000人づつは戦死するとすると6週間で6000人ということになります。すでに2週間経過していますから、ロシア兵の死者がロシアの発表でも6000人になるのに後1ヶ月。ロシアとして戦闘継続可能なのはあと1ヶ月、どんなに長くても2ヶ月が限度じゃないかなって気がします。ロシアの発表で6000人の戦死であれば実数は3万人ということです。その場合負傷数はおよそ10万人。自国民をそれだけ殺してもたぶんなんとも思わないのでしょうが一応の目安にはなるかもしれません。ロシアが傭兵を雇う話も出ていますが、そんなすぐに投入できないでしょうし、それこそアメリカが金を出してウクライナがより高く雇えばいいと思います。
ウィキペディアのチェチェンの記述を見るととそのままウクライナにしても通じてしまいます。この時のロシア大統領はエリツィンでしたが首相はプーチンで戦争を実際指揮していたのはプーチンです。以下の記事をクリントンをバイデン、エリツィンをプーチン、そして江沢民を習近平にして読むと、まさに歴史は繰り返すとしか思えません。
以下ウィキペディアからチェチェンに関する記事を引用
アメリカ合衆国大統領のビル・クリントンはロシアが国際的な孤立に直面して「重い代償を払う」と述べ、2000年アメリカ合衆国大統領選挙に出馬したジョージ・W・ブッシュ候補もロシアの対チェチェン政策が変わらなければロシアへの対外援助を停止すべきだとして「ロシアは限度を超えた」と批判し[4]、欧州連合(EU)はチェチェンでの武力行使を終わらせるようロシアに求めた[5]。イギリスのロビン・クック外相はユーゴスラビアのスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領がコソボで行ったジェノサイドと並べて激しくロシアを非難した[6]。
1999年11月、欧州安全保障協力機構(OSCE)の会議でアメリカのクリントン大統領はロシア連邦大統領のボリス・エリツィンに指を差して多くの民間人犠牲者を出しているチェチェンへの爆撃を止めるよう要求するとエリツィンは席から立ち去った[7]。翌12月9日から10日にかけて、チェチェンでの軍事作戦への支持を求めて訪れて最後の外遊先となった中国で李鵬国務院総理や江沢民総書記(国家主席)と会談したエリツィン大統領は「クリントンはロシアが核兵器の完全な備蓄を保有する偉大な大国であることを忘れているようだ」と述べてかつては蜜月を築いていたアメリカに対して核戦争を示唆して恫喝した
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