私が少年時代を過ごした児童養護施設
2022年01月26日
もう55年も前のことです。わたしは沼津市の長屋みたいなアパートで愛犬ナナと味噌汁ご飯で暮らしていたのですが、ある日大人が何人かきて児童相談所というところに連れていかれました。児童相談所はずいぶん長くいました。どこだかわかりません。数ヶ月はいたと思います。その結果送られたのが静岡ホームという児童養護施設でした。静岡の浅間神社に近いです。

児童養護施設静岡ホームのサイトより
昭和40年代の全景
今でもよく覚えています
自分がいたのはビル右の長い建物でいくつかに分かれていて
わたしがいたのは右端で「たちばな寮」と言いました。
園長先生は札野先生と言って怖かったです
ただたちばな寮の女の先生の名前が思い出せません
でも言われたことを覚えています
「あなたはきっと波乱万丈の人生を歩むよ」
って言われたのです
今考えるに不思議だなと思うことがあります。なぜ父親が県東の沼津市にいるのにわたしは離れた静岡市の施設に送られたのか? なぜ児相が急に来たのか?それと児童相談所では一度も父親に会っていません。今にして思えばわたしを父親から離すという目的があったのかなと思います。小学校2年生から6年生まで静岡ホームで生活をしたと記憶しています。5年ほどですから児童養護施設出身というのもおこがましいのかもしれませんが、今のわたしがあるのはまさに児童養護施設の経験があるからで、だからこそ54歳で自己都合退職して児童養護施設へと伊達直人よろしく転じたわけです。わたしの生き様のルーツにこの施設があることは間違いありません。まったく良い経験をさせてもらいました。いろんなエピソードも児童養護施設のカテゴリーに書いてありますのでご興味あればお読みください。

中学に入るちょっと前に親父がシゲちゃんと再婚しました。それで私は施設から引き取られた。シゲちゃんは後日言っていました。シゲちゃんが親父と結婚したから、わたしを引き取ることができたんだって。親父一人では児童相談所が引き取りを認めなかったということでしょう。それで親父とシゲちゃんとわたしで住んだのが市営アパート。市営アパートの中でも一番家賃が安くて汚かったです。風呂もなかったのですが、地下室に風呂桶を置いて住人が隔日とかで交代で入浴していました。施設の方がずっと綺麗でしたね。ちなみに一階の一番手前の部屋で隣が浄化槽だけど古くて臭かったです。中学高校をこのアパートで暮らすことで極貧から成り上がると臥薪嘗胆よろしく並々ならぬ決意を磨いたわけですので、これもまた今のわたしを語るに必要な経験であったのかなと思います。無駄な経験はないと言うべきか、経験を無駄にしなかったと言うべきか。少なくともどちらもわたしにとってはノスタルジアです。
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