勝てば「確信」さもなくば「思い込み」
2022年01月23日

毎週の渋谷ですが
今日のスクランブル交差点
さすがに人は少なかった感じです

サラメシって人気番組ですよね
でもサラメシのサラは
サラリーマンなんだそうで
今のわたしは何を食べてもサラメシにならないようです
このカミさんさんが作ってくれた豚の角煮は美味しかったです
わたしが言えるのは、「確信というものの正しさは勝つことによってしか証明できない。」ということです。すなわち勝てるならそれが確信と言えるということです。ではまぐれとか勢いで勝った人間と確信で勝った人間は何が違うのか? これは一生勝ちきれるかどうか? つまり長い時間軸と試行回数を増やせば自ずからまぐれは消えていきます。わたしがネットで株の発信を見出して25年くらいになると思いますけど、消えて行った人はまぐれだったということです。逆にどんなおかしな投資方法に見えても一生それで勝ち切れるならそれは「確信」としか呼びようがない。そしてそれ以外のもの、これは全て思い込みということでしょうね。ただやっかいなのは勝つ前にいや負ける前にも確信と思い込みの区別がつかないということです。ここにその人のセンスというか人間力なども絡んでくるんだと思います。
- 関連記事
-
-
仮に優待がなくてもその店に行きますか? 2022/10/04
-
なぜ億り人はみなコロナワクチンを打つのか 2021/08/30
-
売りが難しいと言う人は「投資家」ではなく「投機家」だと思います 2021/12/18
-
才能と努力 2016/08/21
-
絶対的な確信 2013/01/29
-