この雪見風呂からは少なくともストレスは見えません
わたしは現役時代原因不明のめまいに悩まされたことがあります。最初に出たのが海外出張の際なんで本当に怖かったです。でもそれは始まりでした。回転性のめまいと浮遊性のめまいとダブルパンチでした。いろんな医者を訪ね歩いても原因がわからずに「自律神経失調症」と言われました。ストレスが関係していると言われました。ただ医者だってストレスてのを見たことがないわけですし、そのストレスがどう作用しているかもわかっていません。じゃあストレスは関係ないって話じゃないのです。わたしの場合は3年くらいで自然と治りましたが他の内臓の状態が改善したのと同時期にめまいが治りました。ただそれが関係しているか、よくわかりません。運動したりすると改善した気もします。ただストレスを減らすように何かしたからめまいが治ったということはないと思います。だってストレスって見えないんですから。減ったか増えたか誰もわからない。であるなら今のわたしはストレスのせいにしないほうが良いように思っています。測れないものを気にするのはよけいストレスになると思うからです。学校の試験で選抜基準がわからずに勉強だけするのはたぶんストレスです。ストレスが測れないのに減らそうとするのと同じじゃないでしょうか?
手短に言うと、自分ではどうにもできないものは気にすんなってことです。これを喝破したのがかの中村天風先生で、先生は確かろくに生きられないと医者から見放されてからチベットに行って、その後いろいろあって90歳以上の長命を全うされましたけど、先生は、確かに自分の体は心配だけどそれは大切にしている車とか道具と一緒で、自分というものに心があるとすれば心こそが自分で、体は人生の道具だから道具として大切に扱わなければいけない。であるなら体を大切にするためにできるだけのことをすればいいわけです。ところが脳というものが勝手に体と心をごっちゃにして、自分でどうにもできないことを心配したり、起こってもいないことを勝手に先回りして悲観したりするのが人間というもの。カーエアコンが壊れたら修理すればいいのに、ああ次はエンジンが壊れる、もうだめだ、なんて心配するようなもんです。エンジンが心配なら点検すればいいのです。つまり最近の記事で書いていますけど、自分の感情で事実に勝手に足したり引いてはいけないということです。
その延長にあるのは般若心経だとわたしは思います。色即是空 空即是色、これは自分が見るからそう見えているということです。であるならどうせ自分で見るのなら、自分で勝手に悪いものを見ることはない。人生は自分の思い通りになると先生は言われます。人生は辛くて悲しいものだと思う人にはその通り辛くて悲しい人生になる。人生は楽しくない長生きしたくないと思えばその通り長生きしない。人生は山あり谷ありも同じです。谷だと思うから谷なのです。山だと思うから山なのです。そんなもの見えないでしょ。勝手にそう思っているだけなのです。まあわたしの能書きに多少でもご興味あれば、中村天風師の著作をお読みになったらいかがかなとは思います。わたしの人生に影響を与えた方ですが、この本を読むことで不思議なことにいろんな(浅はかなりに読んだ)哲学的な考えが自分なりに一本に繋がったのです。聖書にある言葉とかデカルトとかもです。あ、それと般若心経です。中身を理解して上で唱えるのはたぶんかなりいいことだと思います。そんでアマゾンで木魚買ってYouTubeで読経を学んで勝手にやったりしましたが、我ながら笑えます。楽しいんだからたぶん間違ってないでしょう。
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