ネットで愚痴る人、それを慰める人

2021年12月28日
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株式投資
いわゆるネットのSNSとかブログとかを愚痴ったりぼやくことに使うという一定のニーズがあるわけです。その一方で人のぼやきを読んでコメントして慰めるのを喜んでする。これも一定にニーズがあって、これを双方向でやっている人たちもいる。それで楽になった気がするという人もいるようです。その是非をとやかくいう気はありません。勝手にやっていることです。ただ嫌なら読むなというお題目を掲げてパブリックに晒すわけで、それがかなりの規模で執り行われると否応なく目に入ります。

そこで多少人間観察でもしてみると、ある特徴に気がつく。愚痴る方と慰めるほうとでなんの面識もないということです。知らない人だからぼやける、知らない人だから軽く慰められる。一見心を通わせているようでいてすべてママごとということでしょうか? 一方で老後に友達がいないとかつぶやくリタイアブログも散見します。もっと人間関係をアクティブにするネットの使い方はないのでしょうか?

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京都の知人が今日あげた写真
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岩手の知人が今日あげた写真
食べたのは昨日か?

FBやLINEあるいはブログSなどで毎日たくさんの知人友人の上げる写真を絵葉書を見るように眺めています。古い友人と久々にあっても、こうやって絵葉書の往復をしていると自然と会話も弾むし疎遠になることもないです。わたしのブログを読んでいる友人なんてずいぶんとわたしのことに詳しくて、それで言いふらしたりもしてくれるので久々に会っても、知っているよで話すことがないなんて馬鹿げた事態にもなりますが、そういうことでわたしは古い友人に会うとだいたい聞き役です。そんなベラベラしゃべりません。ただひさびさに会う時に軽く会えるのは普段からちょっとしたSNSのやりとりがあるからだと思います。こういう使い方がメインになるってほうが自然じゃないでしょうか? 知らん人間相手によく愚痴れるなとも思います。もっともわたしの場合は愚痴とかぼやきの仕方を知らないんですよね。だって不平不満も鬱憤もないもん。やってみようかしらん?「あーこんなに儲かってどうしよう。」 「こんなに美味くて弱ったもんだ。」とかね。誰か慰めてくれるのかな?
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