日本に寄付文化は根付くものか?

2021年12月14日
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株式投資

わたしは子どもの頃もそして大人になっても寄付をされる側の経験をしていますし、また寄付も長いことを続けてきていますので、寄付についてはいろんな記事を書いています。相対的には最も手離れがよくて簡単な社会貢献が寄付です。ボランティアはいろいろありますが、たいてい時間と手間がかかります。その代わりに交流というものがあります。寄付では人の人生を変えられませんけど、ボランティアなら助けを必要とする人たちに直接働きかけることもできます。ボランティアで知り得た人たちに直接的な援助を差し伸べるとそれは一般的な寄附よりかなり効率的であり影響力もあります。ただそれをする気力体力そして寄附よりお金がかかるというのが私の経験的実感です。

日本では寄附文化はなかなか広がらずに寄附金も少ないというのは統計的にも出ています。なぜ日本人はそれほど寄付に積極的に取り組まないのでしょうか? わたしは歴史的な背景があると思っています。日本という国で「お上」と「民」の関係がいかにして構築されてきたのか? 歴史を振り返ると日本の民はお上に従属的です。お上に従順に従いますがその代わりお上になんとかしてもらいたいという気持ちが強い民です。その中で「自分で弱者を救うべく手を差し伸べる」という行為は、お上に楯突く行為と表裏一体で語られることが多いわけです。義賊という言葉もあります。背景にお上がお決めになってその立場にいるものを個人が勝手に変えてはいけないという発想があるようにわたしには思われます。民にはお上によって、生かしもされ殺されもされるという感覚が日本人に染付いている気がします。

日本の国民負担率がどの程度か? これは計算して国際比較をするのは簡単ではなさそうですが、いろんなものの値段とか、電力料金とか、高速道路代とか、さまざまな形で紛れ込まされていて、日本は決して低くないと思います。でも日本人はその国民負担をおおむね許容するという姿勢を長く貫いてきています。古くは五公五民です。その心は?なにかと言えばお上に従属してお上に納めておけばいちばん良いお金の使い方を専門の人や偉い人が決めてくれるはずだという信仰にも似た期待があります。自分で勝手にやって間違えてはいけないしそんなもの誰もやらない。お上に任せておくべきだという考えです。

その一方で統計的には現れないし、また民も強く主張しませんけど、困っている人を自分なりにちょっとした手助けをするといういわゆる今でいうボランティア精神というのは日本人は決して低くないと思います。だたお上に気兼ねして目立つようにはやらないというだけで、それは当たり前のように他人の家の前を掃除したりドブをさらうのようにひっそりと目立たぬように行うのが日本的なのです。それは良いとか悪いとか話をしても意味がありません。そういう民になっているということでしょう。そういうことで日本人がお金を差し出すという行為に消極的だからと言って、人を助ける意識が低い民だとは言えないと思います。たぶんこれからも日本人への負担率はいろんな形で上がっていき、そしてリターンは減っていくと思います。それにじっと耐えるのが日本人なのです。考えようによれば一番気前が良い民かもしれません。ただその気持ちの良さを何百年もいや千年二千年と利用してきた層がいるんですけどね。
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