分別ある大人の自慢

2021年12月14日
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株式投資
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これは埼玉のカレー屋さん
黒磯のカレー屋さんは残念ながら閉店してしまいました

高校時代の友人と一緒に昼飯を食う機会があって、(実は近くにいるのね)そこでわたしのブログとかFACEBOOKの話になったんだけど、ハルトモと作者を混同している人が多いようです。それはわかってわざとやっていることです。それでわたしが殊更自慢げにひけらかしをして喜んでいるのはみっともないという声があるそうです。分別ある大人のすることではないというわけです。では手本にすべき分別ある大人の自慢というのはどこに行ったら見られるかというと、それはFACEBOOKのようです。でも面白いなと思います。わたしの知る別の同級生はFBが自慢ぽくて見る気がしないと言うのです。実際わたしも見ません。(わたしの場合はつまらないから見ないだけで、面白いのは読んでます。)結局人生がうまいこと行っている人間の溜まり場でそれは同窓会の雰囲気そのままというわけです。わたしがそう言ってるんじゃないです。わたしは人の自慢を聞くのが好きだからなんとも思いません。もっとやれって思うくらい。

それでその同級生が言うのはどうせ自慢をするなら、妙に分別ぶるんではなくてハルトモみたいにはしゃいでくれたほうがよほど気分がいいってことなんです。実はわたしはそこらを揶揄するためにわざとはしゃいで書いているって面があります。どうせ自慢になるなら(人から自慢と見られるんだから)気持ちよくやったらどうだってことです。なにせわたしは大人ってもんが子どもの頃から嫌いだから大人になんかなりたくないって気分で生きてきている。でもわたしはしたたかな強かな少年ですよ。計算してないようで計算もしている。すべて計算づくと言ってもいいくらい。ただ普通の人の算数と全然違う方式でやってるもんだから他の人はわからないってだけです。

株の話もよく書いているけど、わたしなんかまだまだです。もっと修行しないといけません。なんてセリフが謙虚で、ああもう十分儲けたんでもうこれ以上儲けなくてもいいです、なんて書くと傲慢に聞こえるって人が多いよう。でも強欲で傲慢なのはどこまでも儲けようとする前者じゃないですか?己の足るを知らないんだから。まあ謙虚の80%以上は対外的なポーズだとしてもそれでもやっぱり辞めずにどこまでも儲けたいってのはわたしはそれこそがいちばんの傲慢だと思っています。少年らしくない。ところで時々ハルトモさんに会いたいって人がいたりするんですけど、ハルトモはブログにしかいません。作者に会ってハルトモと同じセリフが聞けると思うならそれはないです。世の中で文章書いている人ってみんなそうじゃないでしょうか? ブログはわたしの作品だってだけなんです。もちろん重なっている部分は大いにはあります。だからリアリティがあることで読んで面白くなるって思ってます。
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