老後はその人の人生の鑑かも

2021年12月11日
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人生の考え方
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実社会でそれぞれの人が持つ人付き合いというか人間関係の厚みは人それぞれなんだろうと思います。わたしなどは八方美人を避けるかわりに気のあう人と長く深い付き合いをするという考え方でやってきてますので、ネットを介する人付きあいというものがどうしても軽く見えてしまいます。特に株関連だと、よくわかりもしない相手にイージーに共感したり、簡単にくっついたり離れたり、歯の浮くような褒め言葉が飛び交ったり、根拠のない励ましの応酬とか、はたまた罵り合いや陰口など、なんなんだろうとわたしは長いこと思っていました。ただ最近思ったのですけど、実社会の人付き合いもそういうノリでやっている人もたくさんいるらしいということです。つまりそれほど実社会で深い人付き合いをしない。だからリアルの人付き合いの中での鬱憤とか不満を簡単にネットで吐き出すって人もいるんじゃないかしら?て気がするのです。

わたしはネットの人付き合いにそれほどの期待をしていませんが、世の中には実社会の人間関係の不具合の癒やしをネット社会に求める人がいるということかもしれません。それが幸せかどうかの議論など意味がなく、ただそれが現実だということでしょう。ネットで知り合った株仲間を大切に思う人がいるとしたら、その人なりの人間関係の経験の中でそう素直に思っているだけで、実社会で知っている人とも同じような関係なんだということなのかなと思います。そう考えるとネット社会の親密さも理解できる気がします。でもネット社会のつきあいを契機として実際に会って長く付き合いが続いている友人がわたしにはいます。だからネットの交流が意味がないと言うつもりはありません。実際、わたしだって応援したい気分で読んでいるブログもあります。ただどうせ会いはしない相手だと軽く接するのではなく、ネットをきっかけとして人間としての交流を育てるという慎重さが求められるとわたしは考えるということです。

リアルな人間関係というのもけっこう怪しい面があって、実際仕事をしていたときは、仲良くつきあっていたのに定年後にぷっつりと人間関係が切れてしまったという話はリタイアブログで枚挙にいとまがありません。良好な人間関係だと自分では思っていたけど実はその程度だった。敵がいない代わりに味方もいなかったというわけです。気遣いの人ほど案外寂しい老後になって、逆に友達が少なかったのに案外そのつきあいが続いて楽しいという人もいるようです。上手に生きたつもりがそうでもなかったということで、それをまたブログで人の冷たさとかを書いている人もいますけど、たぶんその人のしてきたことがそのまま返ってきた結果なんだろうと思います。老後はまさにその人の人生の鑑なんだろうと思います。老後になって人の愚痴を聞きたがる人はそんなにいないと思います。現役時代に愚痴とか人の悪口を言っていた人間はリタイアしてわざわざ会いたいなとは思われない気がします。(仮に今愚痴を言わなくても)わたしの場合愉快で楽しい話が聞けそうだ、って思われているようで、気さくに訪ねてきてくれたり、わたしが行ってもなんとか都合をつけてあってくれたりと付き合いが途切れることがないです。やはり会って楽しいというのがつきあいの続く大きな要素だと思います。
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